大久保嘉人、ジダンにも通ずる「立ち姿」の雰囲気 二度のW杯で“日本化”を実現
【歴代名手の“私的”技術論|No.4】大久保嘉人(元日本代表FW):高校時代から一目でモノが違うと感じさせた
日本サッカーが生んだ最も天才的な選手の1人が大久保嘉人だ。FWとしては久保竜彦と並ぶ素質の持ち主だろう。
名門・国見高校で高校三冠を達成。大久保を初めて見たのは高校選手権と記憶しているが、一目でモノが違うと感じさせるものがあった。これはどう表現していいか難しいのだが、「立ち姿」に雰囲気があったのだ。
誰から聞いたのかは失念してしまったが、久保について「ボールに片足を乗せて立っているだけで雰囲気があった」と言った人がいた。大久保についても同じで、立ち姿の安定感と力強さ、同時に脱力が感じられた。サイズはかなり違うが、ジネディーヌ・ジダンに似ていると思ったのを覚えている。周囲を寄せつけない立ち姿だった。
2004年のアテネ五輪で活躍し、セレッソ大阪からスペインのマジョルカへ移籍。当時のエクトル・クーペル監督の評価も高く、マジョルカの1部残留にも貢献している。その後、監督交代に伴って出場機会を減らしC大阪へ復帰。当時、ジーコ監督が率いていた日本代表にも招集されていたが、06年ドイツ・ワールドカップ(W杯)はメンバー選考から外れた。
この頃の大久保はイエローカード、レッドカードの多いカードコレクターで、才能は素晴らしいがいつ試合からいなくなるか分からない恐さがあったものだ。
マジョルカ→C大阪→ヴィッセル神戸→ヴォルフスブルク→神戸と移籍を繰り返しながら、10年南アフリカW杯のメンバーに選出され、4-5-1の左サイドハーフとしてベスト16入りに貢献した。
日本代表と大久保の関係は興味深いところがある。
南アフリカ大会の予選段階で、大久保はチームの中心ではない。スピード、アジリティー、パワー、テクニックと逸材なのは終始変わりないのだが、負傷や巡り合わせもあって主力として定着していなかった。ポジションもFWが多かったが、南アフリカ大会ではMFとして起用されている。どこでもやれる能力があったので、それは不思議ではない。面白いのは、大久保の存在が当初描いていた「日本化」とは違う形での「日本化」を実現させたことだ。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。