“超攻撃的DF”闘莉王の流儀 「凡人」を「闘将」に変貌させたものとは
自らを信じてくれたピクシーとの秘話
そう口にした闘莉王は、名古屋グランパスのドラガン・ストイコビッチ元監督との秘話を明かしてくれた。
「南アフリカW杯後に、父親の具合が悪くなって日本に帰ってこれず、ブラジルに直接帰った。お父さんの具合もあってブラジルでは体を動かせず、日本に帰ってきて3日後に大宮戦があった。時差ボケもあって練習時間もわずかだけだったけど、ピクシー監督から『大宮戦に連れていくよ』と言われた。コンディション的には万全ではないと伝えたけれど、『嫌でも連れていく。5分でも10分でも出てくれ』って言われた。
その試合はベンチスタートからだと思っていたのに、先発だった。名古屋は先に一人退場しており、ハーフタイムでふらふらな状態。限界は見えていた。でも、監督は『いや、まだ出られる』と我慢して使ってくれた。それが本当にうれしかった」
ブラジルからの帰国後、万全からは程遠い状態だったが、ピクシー監督には強行出場を求められた。そして、その試合で極限状態にもかかわらず、決勝点をアシスト。1-0の勝利に貢献し、結果に結びつけたのだ。
「PKもそう。自分が蹴らないで、誰かが外した時に悪いのは蹴らなかった自分。ミスしたキッカーの責任ではなくて、自分が蹴らなかったことが一番悪い。自分が外した時は必ず自分の責任。自分が背負えばいい。そういう後悔は一番あってはいけない。一番悔しい。もう、二度と蹴らさないよって言われたけど、俺はまた蹴るつもり。PKを外しているけど、一番練習しているのも自分。練習していない人に蹴らしても、それを正しいとは思わない」
一瞬、一瞬に全力を注ぎ込む。何があっても後悔は残さない。責任はすべて自分が背負えばいい。蒸せ返るような”マチズモ”こそが、この闘将の流儀なのである。
【了】
サッカーマガジンゾーンウェブ編集部●文 text by Soccer Magazine ZONE web
本美安浩●写真 photo by Yasuhiro Honmi