“超攻撃的DF”闘莉王の流儀 「凡人」を「闘将」に変貌させたものとは
どんなに体が悲鳴を上げても…
毎回思い切って競り合ったら怪我をする可能性は高くなるけど、思い切って行かないとプロじゃないし、体が慣れていかない。逆に言えば、思い切って行ってないからこそ体が慣れない。この紙一重に慣れずにフィフティー・フィフティーの場面でボールを奪いに行った時には怪我をしてしまう」
どんな局面でも、故障を恐れてプレーをセーブするような人間は真のプロとは呼べない。怪我のリスクをコントロールしながらの中途半端なプレーは、絶対にしてこなかったという。そんな闘莉王は、筋肉系のトラブルに見舞われながら強行出場を続けてきたが、大きな怪我は少ない。08年シーズン終了直後に、左膝の半月板損傷で内視鏡手術を受けた程度だ。
「大怪我は半月板の内視鏡手術を受けたぐらい。半月板が悪い状態で7試合くらいこなして、結局休みに入った時に手術を決断した。なぜシーズン終了後にしたかというと、何があっても残りの7試合に出たかったから。日本代表は南アフリカW杯予選もあったので、本当は早めに手術をしないといけなかった。
(09年2月に)オーストラリアとのアジア予選があって、その試合までに完治させるには早めに手術に踏み切るべきだった。7試合出てから手術して時間は短いけど、ちゃんとコンディションを戻してからオーストラリア戦に出る。それが目標だった。短い期間で、それができたのは良かった」
シーズン終盤は半月板が欠けた状態でなんとかピッチに立ち続けた。08年12月7日に手術を受けた闘莉王は、温暖な母国ブラジルでリハビリを進めた。そして、翌年2月11日のW杯アジア最終予選オーストラリア戦に間に合わせた。どんなに体が悲鳴を上げても監督の要望に応え、ピッチの上で生き続けてきた。
もちろん、強行出場した試合は、毎回勝利に直結してきたわけではない。
「そういうパターンで損したこともあるよ。それで自分がミスした試合もある。その一方で、試合に出て、こんなプレーもできたのか、というのもある」