「真のビッグクラブ」となるために ガンバ社長が語る新スタジアムの野望
「”画期的”だったからこそ大変だった」
――「みんなの寄付金で造る日本初のスタジアム」は、画期的な手法として話題になりました。
野呂「確かに、画期的なアイデアだったとは思うのですが、画期的だったからこそ、実際に寄付金を集める作業は本当に大変でしたね。先代の金森(喜久男)社長がスキームは作ってくれましたが、その段階ではいわば絵に描いた餅なわけです。国税局に分厚い申請書を出して、どういう形でどれだけの金を集めるかという募金計画と、スタジアムの建設計画の両方が揃わないと認可が下りません」
――全額を集められるかどうかは、開始した時点では分からなかったわけですよね。
野呂「もし寄付金集めがダメだったら110億円程度で3万人規模のスタジアムを造るというように、いろいろな計画を考えていました。募金は3年間行いましたが、途中でこれは無理かなと思った時は、屋根を付けての3万人規模にしようかと思った時もありました。1年目で、この先に入ってくる補助金などを含めて105億円のめどは立っていましたが、それだと屋根がつけられない3万人のスタジアムしか建てられません」
―― 屋根なし、3万人であれば、わざわざ新スタジアムを造る意味がないと。
野呂「4万人、屋根付き、大型ビジョン1つは必須だと思っていました。2つ目の大型ビジョンとかVIPルームは後で増設すればいいかなと。4万人のサッカー専用スタジアムは西日本にはなかった。確かにその時はお金集めが大変ですけど、後からキャパシティーを増設するのはもっと大変なんですよ。だから、僕自身はキャパシティーは4万人と最初から決めていました」