ドイツ3部日本人アナリスト、3人の監督に学んだ指導術 「空気を読めない人は…」
90年W杯のレジェンドが勝負の1試合で放ったカリスマ性
ビクトリアケルンは当時の4部では強豪クラブ。特に序盤は自分たちのサッカーを前面に押し出して勝ち続けることができたため、理論的にいろいろなことを整理できたのだろう。グリュックナーにしても、プロコーチライセンス講習会で学んできたことを、どんどん引き出すことができる快感を覚えていたはずだ。
だが、サッカーはどれだけ調子が良いからといって、そのまますべてが上手くいったりはしない。頭で分かっていることがプレッシャーによってできなくなったりということが起きてしまう。上手くいかない時にチームをどう立て直すか。理論だけでは分からないことも出てくる。
冬の時点で勝ち点10ほど他クラブを離して独走していたビクトリアだが、終盤失速し、2位につけていたオーバーハウゼンとの勝ち点差がどんどん縮まってきてしまった。
首脳陣は最終節前にグリュックナーを解任。そして運命の1試合のために監督となったのが、U-19監督を務めていたユルゲン・コーラーだった。1990年、西ドイツ代表(当時)をワールドカップ優勝に導いた立役者の1人だ。「世界最高のセンターバック」と称されたレジェントの一言は、選手に相当の力をもたらしたという。
「選手の話の聞き方とか、やっぱり違いますよね。『おい、ナイスプレーだぞ!』と言われるだけで、『ええっ? ユルゲン・コーラーが俺に言ってる?』みたいなのはありました。メンタルを中心に立て直してくれたと思います。人間としては本当にパーフェクトですよ。すごくいい人で、いつもポジティブ。嫌なこと、悪口を言ったりしている人もあんまり聞いたことがない。すごいエネルギーがあるし、そこはほかの監督とは違うレベルがありました」
そのカリスマ性はある意味でドイツ屈指だろう。そして最終戦をしのいだビクトリアケルンは無事に3部昇格を果たすことができたが、コーラーはそのままU-19監督に戻ることとなった。
クラブは生き残りをかけて自分たちに最適な監督を見つけなければならない。戦い方を分析し、最適なやり方を見出し、それを論理的に伝える能力は納得させるものがなければダメだが、コーラーにはそれがまだ足りていないというのがクラブサイドからの評価だった。プロクラブで成人チームを率いるには、現役時代の実績やカリスマ性だけではダメなのだ。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。