元ブラジル代表DFカフー、横浜FM入りの合意解除を回顧 「ミランにノーとは…」
英雄カフーが語った2003年当時の決断「横浜にミランが求めてくれていると説明した」
元ブラジル代表DFカフー氏は、サッカー界の歴史に名を刻む右サイドバック(SB)として知られている。2003年、ASローマから横浜F・マリノス入りが内定していたが、チーム合流直前にACミランへ移籍する騒動があった。49歳となった“右サイドの支配者”が当時を振り返っている。イタリアのサッカー専門サイト「カルチョメルカート・コム」が伝えている。
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サンパウロでプロデビューを飾ったカフー氏はスペインのサラゴサとブラジル国内クラブを経て、1997年に加入したローマでは元日本代表MF中田英寿氏とも共闘。スクデット獲得にも貢献し、世界にその名を轟かせた。セレソンの一員としてもワールドカップ(W杯)出場4回、そのうち3回の決勝進出を果たす好成績を残している。
世界を代表する右SBに飛躍を遂げたカフー氏は2003年にローマを退団。横浜FMへの入団合意が報じられた。しかし、当時イタリア屈指の名門だったミランからオファーを受けたことで事態は急転し、横浜FMに契約解除の違約金を支払ってイタリアへ渡った。
日本を驚かせた移籍騒動から17年が経過したが、インスタライブでインタビューに応じたカフー氏は、「2003年の夏、僕は横浜と合意していた。だが、日本に向かう15日前、ミランからオファーを受けて、光栄だと答えていた」と当時を振り返っている。
「僕は32歳だったが、監督が僕の獲得を望んでくれて、クラブにコンタクトを図るよう言ってくれたんだ。僕はOKと答え、横浜に連絡して、世界最強クラブの一角だったミランが求めてくれていることを説明した。あの時、日本に行くためにミランに『ノー』とは言えなかった。そして、横浜との契約をキャンセルし、ミランとサインしたんだ」
カフーは当時世界最高峰のクラブだったミランへ加入し、不動の右SBとして存在を確立。リーグ優勝だけでなく、UEFAチャンピオンズリーグ制覇にも貢献した。カフー自身も「正しい選択となった」と語っている。
日本のファンからすれば世界的名手をJリーグで目にしたかったところだが、カフーのなかで一切の後悔はないようだ。
(FOOTBALL ZONE編集部)