中田、名波を支えた日本代表史に残る“名アンカー” 98年W杯で見せた別格の「ビジョン」
直ちに的確な解を弾き出す能力は、当時の日本人選手の中では別格
フランスW杯では岡田武史監督が3-5-2を採用していて、山口、中田、名波の3人が中央部を担当した。このほうが攻守のバランスはいい。ただし守備戦術が古く、全体が間延びしていた。4-4-2の時よりはマシになったが、中田と名波の戻り遅れは3-5-2でも発生していた。山口がいなかったら、体裁を保てなかっただろう。
山口はたびたび起こる1対2の局面を1対1に変えていた。パスコースを切って数的不利を解消している。その場の状況をインプットし、直ちに的確な解を弾き出す能力は、当時の日本人選手の中では別格だった。
日本は中田、名波のようなインサイドハーフに関しては人材が豊富だ。この後も小野伸二、中村俊輔、小笠原満男、香川真司、本田圭佑など逸材を輩出し続けている。
半面、アンカーポジションがいない。守備専門かインサイドハーフに近いプレーメーカー型はいても、ピタリとハマる選手は少ない。そのせいで、インサイドハーフの人材も使い切れていない。
山口はプレーメーカー型に近く、後の長谷部誠と似たタイプだが、読みの鋭さで守備面でも貢献していた。周囲を見るだけで、自然と的確なポジショニングやパスワークができる。フランスW杯で、日本がもう少しコンパクトな守備戦術を導入できていれば、山口の存在はもっと際立っていたかもしれない。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。