「15歳の子供が」 闘莉王氏、故郷で少年時代の過酷な下積み生活を告白「ヒッチハイクで…」
昨季で現役を引退した闘莉王氏がYouTubeチャンネルを開設 故郷に潜入
昨季限りで現役を引退した元日本代表DF田中マルクス闘莉王氏が、8日に公式YouTubeチャンネルを開設した。そこでは1998年渋谷幕張高校への留学で来日する以前、ブラジルでサッカーの練習場に通うために167キロの距離をヒッチハイクで移動する過酷な下積み時代を告白している。
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ブラジル出身で日系三世の闘莉王氏は渋谷幕張高校で留学するまで、サンパウロ州パルメイラ・ド・オエシチという小さい町に住んでいた。
昨季限りで輝かしいキャリアに終止符を打った闘将はブラジルに戻ったが、幼少時代は下積みの日々だったという。
留学決定前に自宅から約167キロ離れたクラブチーム「ミラソル」でプレーしていた闘莉王氏。行きはバスで高速道路沿いで降りた後、廉価なバイクのタクシーで市内の練習場に向かったという。
クラブハウスに住み込みでトレーニングしていたが、2週間に一度、自宅に帰ることもあったが、その手段は想像の斜め上を行っていた。
「帰りのバス代(を父は)出してくれなかった。ヒッチハイクで行くしかなかった。15歳の子供が、だよ」
闘莉王氏はこう明かしている。右手の親指をクイクイと動かすヒッチハイクならではハンドシグナルも披露。高速道路沿いの大きなマンゴーの木の下で、2、3時間以上待つこともあったという。治安の問題も取り沙汰されるブラジルだが、車中で危険な目に遭遇したことはなかったという。
「子供だから乗せやすかったのかな」と当時を振り返った闘莉王氏。
この苦労は実り、ミラソルで行われた渋谷幕張高の留学セレクションに合格。DF登録ながらリーグ通算100得点以上など数々の金字塔を日本で打ち立てた最初の一歩はヒッチハイクの日々だったのかもしれない。