元イタリア代表DFカンナバーロ、故郷ナポリ退団の舞台裏告白 「破産してしまうと…」
ユース時代を過ごしたナポリでプロキャリアを開始するも、クラブの財政難でパルマへ
元イタリア代表DFで、現在は中国1部・広州恒大の指揮を執るファビオ・カンナバーロ監督が、若くして生まれ故郷のナポリを離れざるを得なかった理由をインスタライブで告白している。
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カンナバーロは2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)で優勝したイタリア代表の中心メンバーで、センターバックでバロンドールにも輝いた名選手だった。イタリア南部の都市であるナポリの出身で、ユースチームから所属してトップ昇格している。
しかし、22歳の誕生日を目前にした1995年にナポリからパルマへと活躍の場を移した。その背景には、当時のナポリが抱えた深刻な財政難があったのだという。
「ナポリから出ていくのはあまりにも早かったよ。ただ、忘れられないのはフェルライノ(当時の会長)が僕を呼んで、『パルマへの移籍話を受けてくれないと、私たちは破産してしまう』と言ったことだ。それまで移籍のオファーを拒否していたけど、これは受ける責任があると考えざるを得なかった。結局、そのパルマへの移籍を受けて忘れられない良い思い出のある7年間を過ごすことになったのだけどね」
かつて元アルゼンチン代表のレジェンド、ディエゴ・マラドーナ氏がプレーするなど名門として知られたナポリは、地元出身でクラブ愛に溢れた若手だったカンナバーロを手放さざるを得なかった。結局、2004年に破産し、アウレリオ・デ・ラウレンティス会長がクラブを買収して資金的に復活。現在の上位争いに定着するところまで復活した。
パルマでのカンナバーロは長年イタリア代表でタッグを組むことになるGKジャンルイジ・ブッフォンや、フランス代表DFリリアン・テュラムらと強固な守備陣を作り、1998年のフランス・ワールドカップでは30センチ近い身長差のあったノルウェー代表FWトーレ・アンドレ・フローを抑え込んで一気に名を馳せた。
もし、当時のナポリが現在のように財政的に大きな問題のないクラブとして君臨していたら、カンナバーロは元イタリア代表パオロ・マルディーニ氏にとってのACミランや、フランチェスコ・トッティ氏にとってのASローマのように、一つのクラブで現役をまっとうする選手として知られる存在になったのかもしれない。