FC東京時代の強化担当が語る長友がたどった「成長のための五箇条」

インテル移籍直後のある姿

 立石は「運も持っていた」と話す。A代表では、中村俊輔をはじめ欧州で経験を積んだ選手と一緒にプレーする機会に恵まれた。五輪から連続して大きな刺激を受け続けたことで、長友は飛躍的な成長を遂げて10年の南アフリカW杯へと臨んだ。

「また世界と再会し、リベンジする場所があった。もしそれがなかったらどうなっていたかは分からない。代表の世代交代の時期と重なって、タイミングも良かった。その運を引き寄せるのも才能だと思う」

 そして、その年の夏、長友はセリエAのACチェゼーナへと期限付き移籍する。さまざまな選択肢の中から彼は、立石と旧知の仲であったマッシモ・フィッカデンティ監督が指揮を執るチームを選択した。さらにイタリアに渡って半年後、インテルへの完全移籍を勝ち取った。

 その名門への加入当初、立石は一度、長友の様子を見に行ったことがあった。そのころは、ビッグクラブ特有のプレッシャーや激しいポジション争いに巻き込 まれ、長友がコンディションを落としていた時期だった。その焦りや、いら立ちが立石の目にも色濃く映った。それを見て「試合に出られるクラブを探した方が いいのでは」と声を掛けようとした。だが、ある行動を見て思い留めた。

「試合の次の日、朝一番に佑都は練習場に向かい、グラウンドで走っていた。周りに愚痴をいう選手じゃない。義務ではなく、何がやれるのかを考えて行動に移 した。走りに行くことが正しい答えかどうかではなく、アクションを自分で起こせる。そういうところが彼の生きざまや、ここまでの成功につながっている」

 だから彼の進化は止まらなかった。FC東京時代に高い評価を受けたのは、ブラジル代表FWフッキを完封した守備力だった。しかし、現在の長友は両足から正確なクロスを配球し、得点力も兼備するようになった。

「より攻撃的になってきている。以前は左のクロスはそれほど精度が高くなかった。イタリアに、特にインテルに行ってからうまくなった。最後の“答え”がな いとイタリアでは評価されない。それが分かって意識的に取り組んだ。そういう意味ではあいつは今も確実に成長している。左サイドバックで点を取れる選手は 世界でも貴重。彼がどうなっていくのか、まだまだ楽しみだよね」

 長友の話が一段落すると、また「そう言えば」とつぶやき、そこから延々2時間のサッカー談義が続いた。彼もまた長友が出会った刺激の一つに違いない。(4月24日発売号掲載)

【了】

サッカーマガジンゾーンウェブ編集部●文 text by Soccer Magazine ZONE we

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