サッカーは五輪で“異質”な存在 成熟した現代スポーツに適さない総合競技大会の限界
【識者コラム】右肩上がりの参加種目と参加者、東京五輪はリオ大会から5競技増加
実は“サッカー王国”ブラジルでも、国民全体が諸手を挙げてワールドカップの開催を歓迎しているわけではなかった。
「もっと病院や学校を作るなど、先にやるべきことがある」
行く先々で不満の声が漏れていた。溺愛するサッカーの祭典でそうなのだから、五輪は言うまでもないだろう。
今、ブラジルのジャイール・ボルソナーロ大統領は「70%は感染する。どうすることもできない」と、逆に隔離措置の緩和を訴えているそうだ。
五輪開催の支出は優に1兆円を超える。今回の新型コロナウイルス騒動で、改めて大規模な国際大会の開催リスクが浮き彫りになったが、もし4年前に感染が始まっていたらブラジルの悪夢は東京の比ではなかったはずだ。
五輪は1896年にアテネで第1回大会が開かれたが、実施されたのは9競技で参加選手も男子のみ241人だけだった。だが競技種目も参加者もほぼ右肩上がりに増加の一途を辿り、前回リオデジャネイロ大会では28競技に史上最多の1万1238人が参加。今年開催予定だった東京大会では、さらに5つの競技が増えることになっていた。
五輪発祥の時点で、世界選手権が行われていた競技はない。唯一テニスだけが世界的な競争を先駆けており、1877年のウィンブルドンに始まり、“グランドスラム”と呼ばれる4大トーナメントのうち3つまでが19世紀に創設された。体操やレスリングは20世紀初頭から世界選手権も開催しているが、水泳は1973年、陸上は1981年からスタートなので、歴史的にも五輪が世界一決定戦として別格の権威を持つようになるのは必然だった。
地球規模で五輪を凌駕する関心度を誇るスポーツイベントと言えば、1930年に始まったワールドカップだけだ。東京五輪の大会組織委員会会長を務める森喜朗氏のように「五輪側の人間」にとって、サッカーは最高の選手を送らない失礼な競技に映るのだろうが、サッカー側からすれば「観客動員のために慰留されている」わけで、むしろ普及を考えれば、多忙な23歳以下の選手たちにプレーさせるより、フットサルやビーチを推したいところかもしれない。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。