R・カルロス、レアル移籍を決めたインテル時代の不遇を回想 「前線でプレーをするのは…」
1995-96シーズンはインテルでプレーも前線起用に苦しんで1年で退団
レアル・マドリードで活躍した元ブラジル代表DFロベルト・カルロス氏は、歴代屈指の左サイドバックとして名を馳せた。「悪魔の左足」の異名を取り、Fリーグ(日本フットサルリーグ)の最年長得点記録も持つ47歳は、FIFA(国際サッカー連盟)の公式インスタグラムで栄光のキャリアを振り返っている。
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FIFAのインタビューで対戦相手として最も対応が困難だった選手を問われたR・カルロス氏は、「(サミュエル・)エトー、ホアキン(・サンチェス)……でも、一番難しかった相手はフィーゴだ。彼は本当に煩わしかった。素晴らしい選手だったよ」と、レアルでチームメイトとなった元ポルトガル代表FWルイス・フィーゴ氏を挙げた。
ゴールに関しては「クラシコ(バルセロナ戦)で決めたゴールが、最も特別だった」と話したが、“キャリア最高”の一撃は別のものだという。
「キャリアを象徴するゴールは、フランス戦のものだろう。今でも、多くの人がこのゴールについて聞いてくる。ボールがそんなに重くなかったし、他の選手が助けてくれたから、ゴールに蹴り込んだんだ」
物理学者が研究の対象にしたとも言われるほど、異常なカーブを描いて決まった伝説のゴールを挙げた。
輝かしいキャリアを誇るR・カルロス氏だが、レアルへ加入する前に所属した1995-96シーズンのインテルでは苦い思い出があるという。その要因について、インタビューでは興味深い話をしている。
「ウイングでプレーすることになったんだ。問題は最初にプレーした(公式戦)7試合で7得点を取った。前線に置かれて苦しむことになった。(マッシモ・)モラッティ会長と話をして、前線でプレーし続けるのは無理だと彼に伝えた。なぜなら、3カ月の間に、僕はコパ・アメリカ(南米選手権)もプレーすることになっていたからね。そして、(当時レアル会長の)ロレンソ・サンス氏と話し合いを持ち、10分間でマドリードに行くことを決断したよ。当時は、物事がとても早く進んだんだ」
今もインテルでは、R・カルロスを生かせなかったことが大きな失敗として取り上げられている。もしゴールを量産していなければ、“レアルのロベカル”は誕生していなかったかもしれない。