元J助っ人リトバルスキー、母国で再脚光 秘蔵映像を公開「80年代の顔」「エレガント」
元市原MFリトバルスキー氏が60歳の誕生日 DFLや古巣ケルンがSNSで祝福
1993年に来日し、Jリーグのジェフユナイテッド市原(現・千葉)などで活躍した元西ドイツ代表MFピエール・リトバルスキー氏が、16日に60歳の誕生日を迎えた。これを受けてドイツサッカーリーグ機構(DFL)や、同氏がかつてプレーしたケルンが相次いでSNS上にお祝いのメッセージを寄せている。
1960年4月16日生まれのリトバルスキー氏は、1978-79シーズンにケルンでプロデビュー。81年からは西ドイツ代表(当時)のメンバーにも常に名を連ね、82年から続いた同国のワールドカップ(W杯)3大会連続決勝進出に貢献した。90年イタリアW杯では優勝を経験。キャリアの晩年は日本で過ごし、97年にブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)で現役を退いた。
80年代から90年代前半にかけてドイツの黄金時代を彩った1人であるリトバルスキー氏だが、同国のオールドファンにとっては今も特別な存在のようだ。還暦を迎えた同氏に対し、DFLが公式ツイッター上で「90年にワールドカップを制し、ブンデスリーガ通算406試合116ゴールのキャリアとエレガントなドリブルで、1980年代のドイツサッカーの顔の1人だった選手。誕生日おめでとう」と、同氏の偉大なキャリアを紹介しつつ祝福のメッセージを投稿している。
また、リトバルスキー氏の古巣であるケルンも、同氏の過去のプレー集動画を公式ツイッターで公開。「スーパーな選手であり、スーパーなキャラクターの持ち主だった。リティ、どんなに祝っても祝いきれないよ。誕生日おめでとう」とのメッセージを添え、同氏の還暦を祝っている。
日本でJFA公認S級ライセンスを取得して、横浜FCやアビスパ福岡で監督として指揮を執ったほか、日本人女性と再婚するなど大の親日家としても有名なリトバルスキー氏。母国ドイツで寄せられた多くの祝福メッセージや同氏の現役時代のプレーを見ることによって、とてつもない選手が創成期のJリーグでプレーしていたことに、改めて気づかされる日本人サッカーファンも多いのではないだろうか。