メキシコから東京五輪へ “プロ経験なし”の日本人コーチ、異国で切り拓いた指導者の道

ポルトガル人のペドロ・カイシーニャ監督【写真:Getty Images】
ポルトガル人のペドロ・カイシーニャ監督【写真:Getty Images】

カイシーニャ監督、ロサーノ監督の下で働きたいと猛烈な売り込み

 当時、メキシコの1部リーグで唯一、外国人監督としてチームを指揮していたのが、北中米カリブ海チャンピオンズリーグで決勝に進出するなど、評価の高かったサントス・ラグーナのポルトガル人、ペドロ・カイシーニャ監督だった。カイシーニャのサッカーに興味を持っていた西村氏は、知人を通じて連絡先をもらい、チームが遠征でメキシコシティに来た時に本人に直接連絡。練習を見学し、スタッフとも仲良くなると、今度はサントス・ラグーナの本拠地トレオンまで出向き、強化部長に採用を直訴した。

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 急な売り込みの返事は当然「今は無理」というものだったが、西村氏は諦めずに試合分析や練習メニューなどを映像も含めて送り自己アピール。その甲斐あって、その年のシーズン終了後、サントス・ラグーナへの移籍を勝ち取った。

 新天地では分析官からスタートした。トップチーム、U-20、U-17の自チーム分析や対戦相手のスカウティングと並行し、U-20、U-17ではアシスタントコーチも兼任。その後、U-17コーチ、サテライトのコーチを務めた。サントス・ラグーナで2年間を過ごした後、2016年には同じオーナー会社が保有する2部のタンピコマデロに派遣され、トップチームのコーチに就任。順調に指導者としての階段を駆け上がっていった。

 だが、タンピコマデロでは軋轢もあった。西村氏以外のスタッフは、すべて監督が連れてきた人材。唯一、クラブ側の選定でコーチに就いていた西村氏にとっては、やりやすい環境ではなかった。「このままでは病んでしまう」と感じ、サントス・ラグーナに戻してもらうよう打診したが、それが実現しないと知ると、新天地を求め、再び売り込みを始めた。

 そんな時、ちょうど耳に入ってきたのが、監督学校で同期だった元メキシコ代表のハイメ・ロサーノが1部ケレタロの監督に就任するという噂。西村氏はサントス・ラグーナに移籍した時のように、分析した映像や練習メニューなどを送ると、ロサーノから「一緒に来てくれ」というオファーが届いた。

 このロサーノが、後にU-23メキシコ代表監督として、ともにタッグを組むことになる人物だ。西村氏にとっては、日本人初となるメキシコ1部のトップチームコーチという立場。当然、ここで結果を残そうと燃えていた。だが、豊富な資金力を元に、選手をかき集める強豪チームをなかなか倒すことができず、2017年前期は5勝4分8敗で18チーム中15位。後期のシーズン終盤には、成績不振によりロサーノ監督とともに解任され、チームも最終的に3勝7分7敗で16位に低迷する無念のシーズンとなった。

(後編へ続く)

(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)



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