東京五輪延期で男子サッカーはさらに“中途半端”に? メダルかW杯か…問われる日本の姿勢
【識者コラム】“妥協の産物”だった五輪の男子サッカー、日程次第でトップクラスの参戦は難しいか
東京五輪は来年夏頃までの延期ということになった。
専門家ではないのでよく分からないのだが、来年夏までに新型コロナウイルスは終息するのだろうか。集団免疫を獲得するには国民の7割ぐらいが感染することになるらしいので、日本の場合は単純に計算すると8000万人以上が感染しなくてはならないことになる。あと1年ちょっとでこの数が感染すると、医療崩壊は確実だろう。ダメージが大きすぎて五輪どころではない。
集団免疫獲得が論外とするとワクチンや治療薬を待つことになるわけだが、これが1年後に間に合うものなのかどうか。専門家の話も一定ではないが、来夏までに確実にワクチンが普及するという説を聞かない。そうなると、人の往来や集中を避けて感染が広まるのを避けるという現在の状況が続くわけで、1年後も状況はそんなに変わらないのではないかと思うのだが、どうなのだろう。また、日本で収まったとしても世界的に蔓延している状態が続いていれば、やはり開催は難しい気がする。
サッカーにおける五輪は、歴史的に中途半端な位置づけだった。
五輪競技に男子サッカーが加えられたのは1900年のパリ五輪から。そこから4大会中、3回は英国が優勝している。この時代はイングランド、スコットランドの全盛期だった。
風向きが変わったのは第一次世界大戦以降。1924、28年五輪で連覇したウルグアイは当時の世界最強チームで、1930年の第1回ワールドカップ(W杯)も優勝している。このあたりまでは、「五輪金メダル=最強チーム」という図式と言っていい。
第二次世界大戦後は、社会主義国の“ステート・アマ”が五輪を牛耳る。東側の社会主義国が五輪、西側の資本主義国のW杯という棲み分けができた。1952年ヘルシンキ五輪で“マジック・マジャール”のハンガリーが優勝してからは、ソビエト連邦、ユーゴスラビア、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキアと東側陣営の金メダルが続いた。
1984年ロサンゼルス五輪からプロ選手も参加できるようになり、フランスが優勝。ここからは東側の完全支配の構図が崩れる。W杯の価値を損なわれたくないFIFA(国際サッカー連盟)と人気競技のサッカーを失いたくないIOC(国際オリンピック委員会)の綱引きが始まり、“アンダー世代の大会”という現在の方式に帰着している。妥協の産物と言っていい。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。