「もっとうまくなりたい」 リオ世代のゲームメーカー大島僚太が誓う爆発的な成長
5年前のあの時と似た感覚
2011年2月、川崎フロンターレに加入した大島がキャンプを終えた直後のことである。
地元・静岡のテレビ局が取材に訪れ、色紙に目標を書くシーンが撮影された。その色紙に大島は「日本代表」と記したが、カメラに向けて発したコメントは、目標とは対照的になんとも頼りないものだった。
「『サッカー選手なら誰しもが目指すと思うので、僕も日本代表にしておきます』って、なんか人ごとのような感じで言ったんです。後で映像を見返した時、さすがに自分でも、なんて欲がないんだ、って思いましたね(苦笑)」
だが、そうやって控えめにならざるを得ない理由があった。
高校3年時に川崎の練習に参加した大島は練習試合に出場し、そこでのプレーが高く評価され、プロ入りにつながった。その時のプレーについては自分なりの手応えもあった。だから、オファーを受けた時、驚きながらも「チャレンジしてみよう」とプロの世界に飛
び込んだ。
ところが、実際にチームに加入し、キャンプを終えると、そんな印象が一変した。
「練習試合の時は、先輩たちが『自由にやっていいよ』っていう感じで、優しくしてくれたんですよね。もちろん、加入後もみんな、優しかったですよ。でも、本気度、迫力、厳しさは全く違った。すごいな、勝てないなって、へし折られてしまって」
自信を木っ端みじんに砕かれた直後だったから、力強く代表入りという目標を宣言することが、できなかったのである。
だが、同時にこうも思っていた。
このチームで頑張れば、もっとうまくなれるんじゃないか、もっとサッカーが面白くなるんじゃないか。
あれから5年が経ち、あの時に思い描いたように大島は今、サッカーが楽しくて仕方ない。
だから、打ちのめされ、へし折られたドルトムント戦後も確信したのだ。きっとこの先、もっと楽しくなるに違いない、と。
「攻撃も、守備も、技術も、全てがまだまだだって思い知らされましたけど、目指すべき姿が見えたのも確か。その感覚がプロ入りした時と似ていたから、すごくワクワクしたんです」