リバプール低迷の元凶!? 移籍市場で獲得に失敗した「10人の才能」に宿敵マンUの英雄の名も…

宿敵の英雄2人を獲得するチャンスも…

Manchester United v Chelsea - UEFA Champions League Final

 第2位は元フランス代表の”キング”エリック・カントナ氏が入った。1991年当時のチームを率いていたグレアム・スーネス監督は、カントナ獲得のチャンスを逃している。スーネス氏は数年前に「ミシェル・プラティニが私に『良い選手がいる』と言っていた。フランスでトラブルを抱えているが、リバプールでプレーしたがっている、と。それがカントナだったんだ。しかし、その当時は他に解決すべき問題があり、断ったんだ」と明かしている。その後のユナイテッド隆盛の礎を築いたカリスマの獲得を逃したことは、どう考えても大失敗の部類に入りそうだ。

 栄えある第1位に輝いたのは、レアル・マドリードのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドだ。2003年当時の助監督、フィル・トンプソン氏によると、代理人のトニー・ヘンリー氏が400万ポンド(約6億8000万円)で何度も売り込んできた選手がおり、それが若き日のロナウドだったという。年俸は税引き後で100万ポンド(1億7000万円)。しかし、リバプールはフランス人FWフローラン・シナマ=ポンゴールと、MFアンソニー・ル・タレクと契約した直後だった。

 売り込みの電話があった10日後、ユナイテッドが1220万ポンド(約21億円)でロナウドと契約したと聞いたトンプソン氏は、当時の指揮官ジェラール・ウリエ氏と窒息しそうになったという。ウリエ監督が「私はトゥーロンでのU-21国際大会での彼のプレーを見て獲得を目指したが、彼の望む給料を払えなかった。我々には賃金構造があり、彼の加入はチームの和を乱しかねないと思った。ロナウドと共にタイトルを獲れたかもしれないが、その当時は(リバプールに)ハリー・キューウェルがいた」と、当時のチームにはオーストラリア代表の”魔法使い”キューウェルが健在だった。

 イングランド屈指の名門であるリバプールは、04-05シーズンにUEFAチャンピオンズリーグを制覇したものの、1992年のプレミアリーグ移行後、リーグ制覇を果たしていない。その一因が、補強の失敗にあることは否めないだろう。逃した魚の代わりに獲得した選手の背信ぶりが、チームの苦しい現実を浮き彫りにしている。

【了】

サッカーマガジンゾーンウェブ編集部●文 text by Soccer Magazine ZONE web

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images

 

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