欧州を襲う新型コロナと“疑心暗鬼” ドイツ在住日本人が綴る「アジア人差別論」の実態
「欧州人はアジア人を侮蔑している」は一側面しか見ていない極端な見解
差別というよりも、ただ怖い。だから、過剰反応も起こしてしまう。僕の知り合いは「お前、コロナウイルスを持ってるだろ。家に帰れ。俺はまだ死にたくないんだ」と文句を言われたりもしている。いきなり呼び鈴が鳴って、「中国人か?」とだけ聞かれていなくなったという嫌な話も聞いた。
だからといって、こうした流れの中で、もともと欧州人はアジア人を軽視しているとか、侮蔑しているから、この機会にその思いが爆発したんだ――みたいな発言もあるが、それもまた一側面しか見ていない極端な話だ。
日本と海外とでは物事の解釈も違う。暗黙の了解という言葉はとても都合が良くて、いくらでも利用することができる。本来相手に自分の価値観を強要することはできないし、それがもともと違う価値観による文化圏で過ごしてきた者同士だとしたらますますそうだ。
「自分がされて嫌なことはしない」ということを常識に思っている人が、「相手がしてくることは自分もしてもいい」というのが基盤にある人と、ただ話し合っていても出口なんて見えっこない。だからどんな価値観があって、それぞれの対処法を知ることが欠かせない。そのためにはコミュニケーションが必要だし、分かり合う努力が大切だし、それでも分かりあえない場合は適切な距離感が重要になる。
僕にしたって、丸腰でこっちで生きているわけではない。危機感知能力は常に問われているし、だからわざわざ危ないところへ行ったりもしない。だからと不必要にビクビクしたり、周囲を警戒していると逆に目立って怪しい存在になってしまうから、いつもちょうどいい距離感を探っている。「お前アジア人だろ。さっさと出ていけ!」と言われた時用の対処法や、そのためのドイツ語も準備している。
そもそも相手がこっちを侮辱してきている以上、その人に対して何かをしてあげようという気持ちもないから、やり返しても無駄だし、基本的には無視する。それでもしつこく言ってきたら、冷静に喧嘩を買うぐらいの気持ちは持っている。わざとくしゃみをして、「ああ、すまない。俺アレルギー持ちなんだよね、人種差別に対して」くらいは言う。もちろん、いつでも逃げられる準備をしながら。
そんな事態であっても、周りの人間全部を敵に見るなんて生き方はやっぱり嫌だ。差別をしてくる人も、攻撃的な人も、神経質な人もいる。それはいる。世界中どこにだって、いつだっている。日本にだってたくさんいる。粘着質にしつこく絡んでくる人たちがいる。でも、それ以上にたくさんの、そんなことを気にしないでお互いを大切に生きようとしている人たちがいる。差別なんか全く念頭になくて、困った時はお互い様と思ってくれている人たちがたくさんいるのだ。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。