「誰にも負けない」 J1最多タイ出場の遠藤保仁、自身が認める唯一無二の“才能”は?
遠藤に迫った海外移籍のチャンス…セリエAのジェノアは「熱心だった」
98年に横浜Fへ入団し、クラブの消滅を機に翌年には京都へ移籍。00年にG大阪へ加入した。京都から移籍する際には多くのクラブからオファーが届き、「数チームでは迷っていた」という。そのなかでも「ガンバが一番いいやろなと思っていました。ガンバは若くていい選手が多かったので、普通に考えたらガンバしかないかなという感じになりました」と、新天地を決めた。
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新天地では西野朗監督(現タイ代表監督)の下、絶対的な選手となり、日本代表としても欠かせない存在となった。もちろん、海外クラブからも注目されることが増えた。キャリアをすべてJリーグで過ごしてきた遠藤だからこそ達成できた記録でもあるが、海外移籍を考えなかったわけではない。
「何がなんでも行きたいというのは代理人に伝えていなかったので、別に行けたらという感じでしたけど……(セリエAのジェノアは)イタリアに興味なかったので、行く気はなかったですけど、熱心だった。スペイン、ポルトガルらへんは行きたかったですね。そこらへんで(オファーするクラブの)名前が出ていたら、もしかしたら(行っていたかもしれない)」
次節の3月1日ベガルタ仙台戦(ホーム)でピッチに立てば、J1最多出場記録を更新する。「目の前に大記録があるというのはJリーグにいないとできなかったと思うので、そこに後悔とかはない」。長年過ごしたG大阪で、そしてホームのサポーターの前で、再び金字塔を打ち立てる背番号7の姿が見られるはずだ。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)