神戸FW古橋亨梧、プロ入りへ転機となった“母の言葉” 「何やってんねんやろって思った」
南野やサッカー部の仲間の後を追い、中央大学へ進学
「プロを意識し出したのは、高校2年とか3年ぐらいで。高3の時に僕らの代から初めて2人プロに行って、僕は行けなかったのでずっと追い付いてやるという気持ちもありました」
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卒業後は中央大学へ進学。「毎年プロの選手も出ていましたし、頑張っていれば絶対プロになれるという確信はありました」と、1年時から主力として活躍した。全日本大学選抜の合宿に招集されたり、関東選抜のメンバーにも選出されるなど、順調に経験を積んだ。寮に帰れば、部屋の掃除や洗濯……。これまで実家暮らしだった古橋にとって、「親の大切さも改めて実感した」とかけがえのない時間になったという。だが、古橋が3年時にチームが2部へ降格。4年時でも昇格を逃してしまった。負傷にも苦しみ、気付けば周囲は続々とプロへの内定を勝ち取っていた。
4年になった12月。古橋はまだ進路先が決まっていなかった。2週目になっても未来が見えない。焦りだけがどんどん募っていく。ストレスのせいで吐き気は止まらず、何度もトイレへ駆け込んだ。気付けば、電話へと手を伸ばし、地元の母へとかけていた。
「やめようかな」
追い詰められた古橋は母にそうつぶやいた。返ってきた言葉は「好きにすればいい」。母の一言に、古橋は突き動かされた。