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大迫勇也がドイツに挑戦した理由 「これが本音かな」
ロンドン五輪の落選が教えてくれた教訓
「これまで、いつも(進路は)直感で決めてきたんだよね、俺は。あまり理由は考えずに。こうした方がいいと思ったら、自分で判断してきた。今回も(オフを利用して)ドイツに見に行って、ここなら成長できると思った。だから、移籍はすぐに自分の中で決まった」
家族をはじめ、恩師の1人である鹿児島城西高校の小久保悟監督ら、近しい関係者は全員が反対の姿勢を取った。当然ながら、大迫の耳には反対の声しか届かなかったが、これらの人には直接会って、こう説得したという。
「このまま鹿島でプレーしていれば、W杯には出られるかもしれない。でも、僕はW杯でピッチに立って、活躍したい。ゴールを決めたい。メンバーに選ばれるためにドイツに行くんじゃない。成長して、W杯で点を決めるために今、ドイツに行きたいんです」
ここまで移籍にこだわるのは、12年ロンドン五輪での出来事が大きく影響している。
アジア予選では1トップとして最も多く起用され、本大会の出場権獲得に貢献。当然のようにメンバー入りは確実視されたが、関塚隆監督は彼の名前をリストに載せなかった。大迫はショックのあまり、「誰とも話したくない」とふさぎ込んだ。
「あのときはね、悔しかったよ。もう誰にもそのことは話したくない。でも、少し経って考えたんだよね、自分なりに。きっと、ロンドン五輪に『選ばれたい、選ばれたい』と強く思っていたから選ばれなかったんだと。選ばれることが目標だったからね。それじゃダメなんだよね。もう1つ、2つ上の目標を立てないと。そうしたら結果は変わっていたかもしれないと思うようになった。
今回、W杯のメンバーに選ばれるチャンスがある。もうロンドン五輪のような思いはしたくないから、今度はブラジルのピッチに立って、点を取ることを目標にしてやっていこうと。その目標をかなえるためには、自分が知らない環境のドイツに行った方がいい」