大迫勇也がドイツに挑戦した理由 「これが本音かな」

 鹿島アントラーズのスカウト担当部長という役職柄、普段から選手の両親と連絡を取る機会は多い。ただ、デビュー戦が決まったときや移籍の報告など、専ら電話をかける側で、受けることはほとんどない。経験上、まれにかかってきたときは「あまり良い連絡ではない」と分かっていた。このときも覚悟して電話を取ったが、予想通りだった。
 美津代さんは、切羽詰まった声で訴えかけてきた。
「椎本さん、どう思いますか? 今ドイツに行くべきですかね。いろいろな人に相談しましたが、ワールドカップ(W杯)後の方がいい、と言われることが多くて……。私もそう思うのですが、椎本さんの意見が聞きたくて電話をしました」
 大迫は12月に入り、ドイツ・ブンデスリーガ2部の1860ミュンヘンから獲得オファーを受けていた。鹿島との契約は2年残っており、移籍には8000万円の違約金が発生する。1860ミュンヘンはその満額を支払う意思を示し、大迫の代理人を通じて鹿島に獲得オファーを送ってきた。移籍金を支払ってまでの日本人選手獲得は、海外移籍が頻繁になった昨今でも珍しいケースだ。大迫が戦力として期待されていることは、オファーの事実だけを見てもよく分かった。
 母の言い分はもっともだ。
 まずは時期の問題。ブラジルW杯まで約半年に迫っていた。13年11月、日本代表欧州遠征のオランダ戦で1ゴールを挙げるなど、既にザックジャパンで居場所をつくった。エースとして鹿島でプレーを続ければ、けがなどの不運がない限り、ブラジルW杯のメンバー入りは固いと言っても過言ではなかった。
 さらに、Jリーグの常勝クラブからドイツ2部の中堅クラブへの移籍は、必ずしもステップアップとは言えない。鹿島のクラブ関係者やメディアの論調も同様で、「移籍はリスクを負う」で統一されていた。
 大迫の移籍希望を知っていた椎本氏は、母に明確な賛否を伝えはしなかった。だた、リスクがあることを伝え、どちらかといえば反対の立場を取った。
 だが、本人の気持ちは一度も揺らぐことはなかったという。獲得オファーを受けた段階、いやオファーを受ける前から、提示された条件がよほど悪くなければ、海外移籍をする決意を固めていた。

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