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内田篤人はなぜ代表引退を考えたのか 試練が気づかせてくれた“本当の気持ち”
神様が用意したもう1つの試練
何をやってもうまくいかない。出口が見えない原因を考えた結果、1つの解決策として、代表を切り離し、シャルケでのプレーに専念しようと思い立った。南アフリカでの悔しい経験を思い出す余裕はなかった。
「今思えば、あのときは本当にどん底だった。練習にも行きたくなくなった。サッカーをやめたいとも思った。何をやってもダメなような気がしてね。こんな苦しい思いは、このときが初めてだったかもしれない」
結局、秋山氏との電話を切った後、ザッケローニ監督の部屋はノックしなかった。前回大会で苦い経験をし、それに向かって走り始めた昔の自分を、もう一度思い出したからだ。
「何も考えずに、ブラジルまでは頑張ってみようと決めた。まずはW杯に出てみよう、と。そのチャンスがあるのにみすみす逃すのはもったいないでしょ。それまで、できることをやって。W杯に出ていないまま、代表から退くのも格好悪いしね」
以来、行動が変わった。それまで代表での立ち位置は一歩引いたところにあったが、選手ミーティングでは積極的に自分の考えを口にするようになった。
12年11月から翌年2月にかけて3度の肉離れを負ったが、しっかりと目標を定め、その都度自分と向き合い、リハビリに励んだ。苦手だった守備も向上し、13年6月のコンフェデレーションズカップのブラジル戦では、世界的な選手の1人であるネイマールを封じるなど、ピッチ内外で成長した姿を見せた。
10年夏にシャルケに移籍してから毎年浮き沈みはあったものの、シーズン末はレギュラーとして迎えている。4年間で出会った4人の監督から信頼を勝ち取った。また、ザックジャパンでも不動の右サイドバックというポジションを得た。「代えが利かない選手になりたい」という目標はある程度達成され、ブラジルのピッチに立つことは時間の問題だと思われた。
だが、サッカーの神様は最後の最後に試練を用意していた。まるでW杯に「出たい」という気持ちが、本物かどうかを試すような大きな苦難だった。
今年2月9日のハノーバー戦でけがを負った。ドリブル突破を試みた際の負傷だった。
倒れた瞬間、右手を回してベンチに交代を求めた。「人生で初めて、自分から交代を願い出た」と言うほど、すぐに「ただのけがじゃないと悟った」という。
最初の検査では右太もも裏の肉離れ。「それだけじゃない気がした」と2度目の検査を申し出ると、右膝の腱の損傷が見つかった。「W杯に間に合うか」という問いに、ドイツ人医師はあきらめるように諭し、手術を勧めてきた。
「君は何を言っているんだ。W杯はノーだ。今日にでも、明日にでも手術を受けるべき状態なんだ」
焦った。
「俺のW杯が……」
すぐに携帯電話を握り、秋山氏に電話した。
「日本で検査を受けたい」
慣例から行けば、チームドクターの診断は絶対だ。覆すにはシャルケとの間に、相当な信頼関係が成り立っていないと難しい。だが、この4年間の模範となる言動を評価され、特例の措置が認められた。