内田篤人はなぜ代表引退を考えたのか 試練が気づかせてくれた“本当の気持ち”

雨の中、悔し涙を流しながらグラウンドを走ったことも

 悩んだときはいつもそうしているように、ホテルに戻ってから、パートナーで代理人を務める秋山祐輔氏に電話した。監督の部屋に行く直前だった。
 反対されるであろうことは、容易に想像がついたから、今回は報告という形を取ろうと考えた。だが、秋山氏からの忠告は、今まで意識してきたはずのことをあらためて気付かされるものだった。
「シャルケでは、世界一流の選手と対戦する機会は限られる。でも、W杯という舞台ではネイマールやクリスチアーノ・ロナウドとか、真の一流と対戦できる。そういう選手とやれば成長できる。その機会を自ら捨てるのはもったいないと思わないか。まだ、その舞台も経験せずに、このまま終わるのはもったいないと思わないか」 
 ふと、4年前の記憶が蘇った。
 内田は南アフリカW杯で不出場に終わった。予選ではレギュラーを務めたが、本大会直前に岡田武史監督が守備的な戦術に変更。攻撃が持ち味の内田は、サイドバックの3番手以下に追いやられた。結果的に日本代表が戦った4試合で、1度もピッチに立つことはできなかった。当時のことは「忘れない出来事」「もう2度と経験するもんじゃない」という記憶として残っている。
 大会後、ブラジルW杯に向けて、決意をこう語っている。
「W杯に出られないまま、選手として終わるのは格好悪いよね。出られるチャンスがあるのなら、やっぱり出なきゃ。サッカー選手なんだから。僕はまだ、W杯というものを知らない。試合に出られないことで強く思ったのは、どんな状況でも監督に信頼される選手になること。どのチームにも、戦術が変わっても、監督が代わっても、絶対に先発に選ばれる選手がいると思うんだよね。この4年でそういう選手になれるようにしっかりやっていく」
 この決意から1年半が経過しようとしていた。順風満帆だったシャルケ1年目とは打って変わって、逆風が吹き始めた時期。監督交代でポジションを失った。サッカー人生で、出場停止やけが以外で初めてベンチ外という屈辱も味わった。試合前日の練習。ベンチ入りに備えて遠征の準備をしていくが、メンバー外と通達され、そのまま荷物を持って帰宅することが続いた。
 ある日の全体練習後、練習場に残ることにした。
 雨が音を立てて降ってきたが、守衛に「ナイターを消してください」と頼み、ピッチの周りを走った。1人になりたかった。悔しさと光りが見いだせない状況に、涙が出てきた。ニット帽を深くかぶり、流れ出る“もの”が止まるまで走り続けた。
 代表引退を考えるようになったのはこの時期だった。

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