“サッカー王国”はなぜ低迷したのか 24年ぶり優勝の静岡学園、「個性」への原点回帰

優勝した静岡学園の選手たち【写真:Noriko NAGANO】
優勝した静岡学園の選手たち【写真:Noriko NAGANO】

埼玉、広島と並ぶ“御三家” Jリーグ創設以降に地域間格差が解消し低迷

 第98回全国高校サッカー選手権は13日、埼玉スタジアムで決勝が行われ、静岡学園(静岡)が連覇を目指した青森山田(青森)を3-2の逆転で破り、24大会ぶり2回目の栄冠に輝いた。前回の1995年度大会は鹿児島実(鹿児島)と優勝を分け合ったため、これが初の単独制覇となる。

 かつて静岡県は埼玉県浦和市(現・さいたま市)、広島県とともに「サッカー御三家」と称賛されたほど高校サッカーが地域に深く根差し、強豪チームが全国で猛威を振るっていた。

 その始まりは藤枝東で、1962年度の第41回大会で静岡県勢として初優勝すると、翌年には連覇を果たし計4度の選手権制覇を遂げた。66年度にはインターハイ、国民体育大会、高校選手権を制し、史上初の3冠を獲得。その後は清水市(現・静岡市)の高校が台頭し、82年度の第61回大会で清水東が初優勝、第64回大会では清水商(現・清水桜が丘)、翌年は東海大一(現・東海大静岡翔洋)、さらに清水商は第67、72回大会でも高校日本一になり、インターハイや全日本ユース選手権も勝ち、小野伸二(現・FC琉球)や名波浩ら数え切れないほどのスター選手を輩出してきた。

 静岡学園は首都圏開催に移行した76年度の第55回大会に初出場し、埼玉・浦和南との決勝で5-4という壮絶な点取り合戦を演じて準優勝。常にゆったりとしたリズムで攻め、長いキックは一切使わず、ドリブルとショートパスで攻撃を組み立てた。それはこのちょうど1年半前、74年の西ドイツ・ワールドカップでヨハン・クライフを擁するオランダ代表が、「トータルフットボール」と呼ばれる近代的な戦術を引っ提げ、世界中を驚かせた衝撃に似ていた。いずれも敗者のほうが称賛された点でも共通している。

 全国中等学校蹴球大会から、全国高等学校蹴球選手権に名称が変わった48年度の第27回大会以降、都道府県別の優勝回数は埼玉の12回が最多で、静岡は2位の10回。出場校が現行の48校に定着した第62回大会からだと、1位は長崎の7回で千葉が6回と続き、静岡は5回で3位だった。今回の静岡学園の優勝により、千葉と並ぶ2位タイに浮上した。

 しかし、93年のプロリーグ誕生を契機にJリーグのクラブがユース年代の下部組織を発足させたほか、日本中にクラブチームが次々に生まれた。このほか日本サッカー協会が全国に地域トレセン制度を設けたこと、有能な指導者が増えたことも高校サッカーの地域間格差を解消させ、古くは“サッカー不毛の地”であっても、才気煥発な選手を次から次へと輩出させる大きな要因となった。静岡も全国で勝つ、という段になると結果を出せない低迷期が長らく続いた。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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