ネイマールが“変わった” 因縁のカバーニにPK譲り「ハッピー」…真のエースへ脱皮か

精力的に守備を行い、2トップを引き立てるようなプレーも…

 かつて米国に北米リーグというものがあった。現在のMLSより前にあったサッカーリーグだが、消滅してしまっている。しかし、1970年代半ばにはニューヨーク・コスモスがとても人気があり、コスモスを中心にサッカーブームを起こしている。引退していたペレを復帰させたことが起爆剤だった。フランツ・ベッケンバウアー、ヨハン・クライフ、エウゼビオ、ジョージ・ベストといった往年のスターが北米リーグでプレーしている。

 コスモスはペレのほかに、イタリアのラツィオからジョルジョ・キナーリアというFWを獲得した。ペレとキナーリアは名コンビを組むのだが、ペレはある日、「なんでもかんでも自分でシュートするな」とキナーリアに忠告した。するとキナーリアは「俺が打ちたい時は、いつでもどこでもシュートを打つ」と反論。思わぬ反撃にペレはショックを受け、涙を流したという。

 ピークを過ぎていたとはいえ、ペレである。サントスでもブラジル代表でも、チームメートがペレにシュートを打たせるためにプレーするのは当然のことだった。現在のバルセロナでも、リオネル・メッシのスタイルに合わせられないFWはプレーできない。世界に名が知られているわけでもないイタリアから来た男に反撃されるとは、ペレにしてみれば思いも寄らないことで、悲しかったのだろう。

 ネイマールがカバーニにPKを譲ったガラタサライ戦、ネイマールはこれまでになく精力的に守備をしていた。そして、ムバッペとマウロ・イカルディの2トップを引き立てるようなパスを再三送っていた。強引なドリブルも減り、淡々と、しかし効果的なプレーをしていた。

「フットボールができて、仲間とボールを追いかけられる。それだけが今、僕がここにいる理由だ」

 熱望していたバルサ移籍が実現しなかったことで悟りを開いたようなコメントにも聞こえるが、フィールドのネイマールもとても落ち着いていた。

「カバーニに足りなかったのはゴールだけだった。彼が決めて皆がハッピーだし、僕もパリもハッピーだ」

 たとえ望みが潰えて開き直った結果だとしても、現在のネイマールは一皮剥けたように見える。1人の力でCL優勝へ導くスーパースターとして過剰な期待とともに迎えられたが、ようやくPSGの一員として皆で頂点を目指す環境が整ったのではないだろうか。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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