五輪予選とキーマン負傷 野津田の最終予選絶望で繰り返された苦悩の歴史
元祖”レフティモンスター”も五輪最終予選前に負傷離脱
リオデジャネイロ五輪出場を目指す手倉森ジャパンにとって、衝撃の事態となった。サンフレッチェ広島は11日、前日に行われたクラブワールドカップのオークランド・シティ戦で負傷交代したMF野津田岳人が、広島市内の病院で検査を受け、右膝内側側副靭帯損傷と診断されたことを発表。全治8週間と診断され、来年1月にカタールで行われるリオ五輪アジア最終予選を兼ねたAFC U-23選手権への出場が絶望となった。
事件はオークランド・シティ戦の前半12分に起きた。野津田が左足を伸ばし、スライディングタックルを仕掛けると、雨に濡れたスリッピーなピッチで相手DF岩田と交錯。
「スライディングで足を伸ばした時にちょっとひねってしまった」というレフティーは、右膝を抱えてピッチ上で悶絶した。
「痛くて我慢できなかった」という野津田は、その2分後に交代。そして11日に精密検査を受け、最悪の事態であることが判明した。
野津田は今季、J1王者に輝いた広島で確固たるレギュラーの座をつかめず、リーグ戦の出場時間は878分、19試合4得点。日本代表にも選出されるなど、大ブレイクを果たした同期の浅野拓磨に比べて苦しいシーズンを送った。しかし、手倉森誠監督が率いるU-22日本代表では”本田圭佑二世”として主力を担っており、リオ五輪本大会出場に向けたキーマンの一人だった。
もっとも、日本サッカーにおける五輪予選の歴史を紐解くと、絶対的な主力の負傷は何度も繰り返されてきた。1996年1月、アトランタ五輪最終予選に向けたマレーシア合宿で、前線の軸を担っていた”レフティモンスター”小倉隆史(来季の名古屋GM兼監督)が、右膝後十字靱帯断裂の重傷で離脱。3月の最終予選、7月の本大会を棒に振っている。
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