“無名”FW食野、スコットランドで驚きの“王様”デビュー 知日家コーチ「年間15点」を確信
日本語が堪能なマクフィー助監督 加入会見翌日の「試合に出る」と断言
このように、スコットランドで初めて見た食野は、思ったことをハキハキと答える陽性で元気満点の若者だった。それは素晴らしい。しかしどんなに元気でも、試合前日に日本からの長い移動を経て現地入りしたこと、それに事前に配られた資料には「移籍届けはまだ完了していない」とあった。この状況なら、翌31日のハミルトン戦には出場しないと考えるのが普通だ。
実際、筆者は食野のスコットランド入りが試合前日だと知らされた段階で、31日は武藤嘉紀の取材に行くことに決めた。南に下る特急電車に乗れば、エディンバラからニューカッスルへは1時間30分ほどで着く。
ところが、食野の会見後にオースティン・マクフィー助監督と話をして、スコットランドの首都に留まることにした。なぜなら、日本在住歴があり、日本語が堪能で今回の食野獲得のキーマンになったというマクフィー助監督が、「明日の試合で食野を使う」と断言したからだ。
聞けばこの日の練習も、食野を参加させるために開始時間を午前から午後に動かしたという。
確かにハーツは、昨シーズンから公式戦10試合連続で勝利がない状態だった。今季も1分2敗の立ち上がりで開幕ダッシュに失敗しており、急速な立て直しに迫られていた。また地元記者に話を聞いたところによると、クレイグ・レベイン監督にはすでに解任のプレッシャーもかかり始めているという。
しかしそうは言っても、欧州でのプレー歴が皆無の食野に、そんなスクランブルな起用をする必要があるのか。あまりにも期待が大きすぎるように思えた。
狐につままれたような気分になったが、「絶対に出る」と助監督が言うのだ。しかし「移籍届けの問題は?」「明日の試合に間に合うのか?」と続けざまに尋ねると、マクフィー助監督は「ついさっき、マンチェスター・シティから間に合うと連絡があった」と言った。
それでもまだ半信半疑ではあったが、デビュー戦は歴史的瞬間だ。助監督の言葉を信じて、31日はハーツの試合を観に行くことにした。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。