故障に泣き続けたエリートの矜持 J1復帰弾を決めた福岡DF中村が乗り越えた挫折の日々
FC東京では度重なる故障でキャリアの危機
ルーキー時代から、その将来を嘱望された逸材だった。国見高で同級生の平山相太らと、あらやる高校タイトルを総なめにし、04年に福岡でプロ入りを果たした。その後も、U-20W杯に出場するなど、順調なキャリアを歩んできた。
だが突如として、順風満帆な彼のサッカーエリートに、大きな壁が立ちはだかった。2006年に右膝前十字靱帯(じんたい)を損傷すると、翌年も右膝内側半月板を負傷。中村は、この2度の大けがによって立ち止まったキャリアを再び動かすために一大決心を下す。「ずっとプレーを続けたい」と思ってきた福岡を離れ、FC東京へと移籍を決断したのだ。
しかし、そこで待っていたのは、さらなる故障との戦いの日々だった。古傷の右膝が悲鳴を上げ、アイシングする姿はいつからか日常の光景となっていった。痛む膝をかばうと、また別の箇所を痛める。その繰り返しにため息を吐き出し、いつもこう話していた。
「付き合っていかなきゃいけないのは分かってますよ。でも、もどかしさはありますよ、やっぱり。思い切りやりたいんですよ、オレが一番」
エリート街道を歩いてきた男は、ベンチを温める日々を受け入れざるを得なかった。だが、それでも「誰かに負けたなんて思ったことはない」と口にし続けてきた。それは虚勢ではなく、偽らざる思いだった。