“GK大国”ドイツで指導する日本人コーチ 「未来のテア・シュテーゲン」を育てる挑戦
シュツットガルトU-14、15のGKコーチ松岡裕三郎氏に訊く、ドイツの育成事情
“闘将”オリバー・カーンに、アーセナルなどで活躍したイェンス・レーマン。近年ではマヌエル・ノイアー(バイエルン・ミュンヘン)やマルク=アンドレ・テア・シュテーゲン(バルセロナ)など、ドイツではその時代を象徴するGKの名手が次々に輩出されてきた。
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同志社大を卒業後、ドイツに渡った松岡裕三郎氏は、そんな“GK大国”の名門VfBシュツットガルトの下部組織でGKコーチを務めている。今回、UEFAのB級指導者ライセンスを持つ松岡氏にインタビュー。ドイツへ渡った経緯や、GKの育成事情について話を聞いた。
◇ ◇ ◇
――まずはドイツへ渡ったきっかけを教えていただけますか?
「選手としてプレーしていた時から、将来的にはGKコーチの勉強をしたいと思っていました。それも、日本でやるよりも本場でやりたかった。僕が高校生の頃はオリバー・カーンが現役で活躍していた時で、有名な選手が多かったGK大国のドイツに行きたいという思いがありました。大学卒業後の2009年9月に単身ドイツへ渡り、シュツットガルトの隣町にあるフェルバッハという7部のチームに入りました」
――ドイツでは、どのような生活をされていたのですか?
「最初はワーキングホリデーのビザで行って、その次に語学ビザ、その後にサッカーの指導者を勉強するための職業訓練のビザを取って滞在していました。初めの2年くらいはフェルバッハで選手としてプレーしながら、語学学校に通い、練習のない日に週に3回くらい日本食レストランでアルバイトをする生活でした。
その後、4年目に取るビザがなくなってしまったんですけど、どうしてもドイツに残りたかったんです。弁護士さんをつけて相談した結果、スクールを立ち上げてはどうかとなり、シュツットガルトで自分のサッカースクールをスタートさせました。それでフリーランス・ビザを取ることができたんです」
――海外では、ビザの問題は避けて通れないですよね。そのスクールでは現地の子どもたちを教えていたのですか?
「いきなりドイツ人を生徒に取ろうとしてもライセンスも何もない状況でしたし、チームで指導した実績もなかったので、現地の日本人の子どもを教えていました。初めは生徒も4人くらいでしたけど、一番多い時には40人近くまで増えました」