トーレスを輝かせた「魔法のアシスト」 盟友ジェラードと戦ったキャリア最高の3年半

チェルシーではの不振ぶりは、リバプールファンでさえ胸が痛んだ【写真:Getty Images】
チェルシーではの不振ぶりは、リバプールファンでさえ胸が痛んだ【写真:Getty Images】

リバプールのファンでさえ胸を痛めたチェルシーでの不振ぶり

 2年目の08-09シーズンは怪我に泣いた。1年目でリーグ戦24ゴールを奪い、期待以上の活躍をしたトーレスが万全だったら、宿敵ユナイテッドに勝ち点「4」差の2位で終わったこのシーズンは「優勝できた」と言い張るリバプール・ファンは無数にいる。

 実際、あのトーレスとジェラードにあと1、2枚決定力のある選手が加われば、10年前にリバプールのプレミア初優勝は実現していたかもしれない。

 ところが、投資目的でリバプールを買収したトム・ヒックス、ジョージ・ジレットのアメリカ人オーナーコンビは補強に全く無関心だった。このオーナーの態度に、当時、トーレスとジェラードが選手として最盛期にいたように、監督として全盛だったスペイン人のラファエル・ベニテス(現・大連一方監督)がしびれを切らし、やる気を失うと、リバプールを愛し、愛されたトーレスも“トロフィーへの渇望”には勝てず、チェルシー移籍を決意した。

 しかしチェルシーでの成績は12-13シーズンのリーグ戦8ゴールが最高で、全くの鳴かず飛ばずに終わった。リバプール時代と同じ3年半の在籍で、110試合に出場してわずか20ゴール。強くて速いしなやかな両足使い、豪快なミドルも決める右足は豪脚、しかも空中戦も強い――。102試合65ゴールを記録した、そんなスーパーなイメージだったリバプール時代の姿とは異なったチェルシーでの不振ぶりは、ライバルクラブへの移籍で悲しみのどん底に突き落とされたリバプール・ファンでさえ、胸が痛むほど悲惨だった。

 当時のブルーズ(チェルシーの愛称)は、第1次ジョゼ・モウリーニョ政権後のポゼッション・サッカーで、ストライカーにはスペースのないボックス内でテクニカルなワンタッチでのフィニッシュ能力が求められた。このチェルシーのプレースタイルと、一瞬でDFの裏に抜けるスピードが武器だったトーレスの特徴が噛み合わなかった。

 そしてチェルシーにはジェラードのように、トーレスが大好物だった速い縦パスを出すMFの存在がなかったことも、“神の子”が輝きを失った原因だったのは間違いない。

 トーレスにとってジェラードが特別な存在だったことは、引退会見で本人が「一瞬だけでもあの3年半に戻ってみたい」と語ったことでも、ひしひしと伝わってきた。

 20代前半の韋駄天スペイン人が相手DFを面白いようにぶっち切ったのは、ジェラードからの強烈かつ正確なロングボールがあったからこそ。トーレスを“神の子”に変える、魔法のアシストだった。

森 昌利

もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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