五輪世代MF黒川淳史、水戸で過ごす成長の日々 周囲に惑わされず歩む「一番の近道」
「自分のサッカー人生の中で、良い経験をできているなという自負はあります」
大宮では下部組織の“最高傑作”とも言われ、トップチーム昇格を果たした2016年は開幕戦のメンバー入りも視野に入っていた。しかし、開幕直前の練習試合で左膝前十字靭帯損傷の重傷を負い、クラブ史上最高の5位に躍進したチームをピッチの外から見る悔しさを味わうことに。翌年もリーグ戦3試合の出場に終わり、チームはJ2降格。下部組織の先輩でもあるMF小島幹敏(現・大宮)が成功を収めつつあった、水戸での“武者修行”を選ぶに至った。慣れ親しんだ環境を離れての約1年半を、次のように表現する。
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「僕自身、そこまで身体能力が高いわけでもなくて、一つひとつの良い積み重ねを続けることによって、結果がちょっとずつ出てくると思ってやっています。大宮の時もいろいろと苦しんだ部分はありましたけど、その経験がいろいろな考えを生んで、今の日々の生活や行動につながっています。自分のサッカー人生の中で、良い経験をできているなという自負はありますね」
年齢的には、2020年の東京五輪を目指す世代の1人。同年代にはA代表に選出される選手、欧州移籍を果たす選手も少なくない。しかし、少しずつでも確かな積み重ねを続ける黒川は、周囲を見て惑わされることはないという。
「ニュースとかで入ってくるぶんには見ますけど、そこまで気にせず自分のことをしっかりとやることかなと。時間は限られていますから。1日1日、自分の体のケアや、いろいろな面でちょっとずつでも成長していくために、やるべきことはたくさんある。そこに力を注いでいます」
五輪への思いに変わりはない。ただ、自身の現状から逆算し、最善の“道”は焦ることではないと理解している。その語り口は冷静かつ熱く、進むべき方向をしっかりと見据えていた。
「(東京五輪が)来年に迫ってきて、自分自身も結果を残していかないといけない。みんな海外に行ったり、J1で活躍したりしているなかで、なかなか(代表に)入れていない状況の自分が絡んでいくなら、今のチームでしっかりと、どの立場でも自分自身のやるべきことをやっていくことが、一番の近道かなと。そこは変えずにやっていきたいと思います」
今夏には東京五輪のエース候補である小川が、磐田から期限付き移籍で加入した。「ああいうタイプとはやりやすい」と相性の良さを感じており、「良い形というのは徐々に生まれてくると思うので、今はやっていてすごく楽しいですよ」と語る。水戸で良好な関係を築き、ともにJ1昇格へのパワーを生み出していけば、自ずと五輪代表も見えてくる。そのための“積み上げ”は、今この瞬間も絶え間なく続いているはずだ。