東京Vは現代Jリーグの「草刈り場」 俊英を生み、引き抜かれる“選手供給クラブ”の運命
渡辺皓太が横浜FMに移籍 中島翔哉、小林祐希らも流出後に日本代表で活躍
J2東京ヴェルディの下部組織で育った渡辺皓太の、横浜F・マリノスへの移籍が決まった。渡辺はコパ・アメリカ(南米選手権)の日本代表メンバーにも選出されていた。
東京Vは「草刈り場」と呼ぶにふさわしい“選手供給クラブ”になっている。近年、ここから巣立っていった小林祐希(前ヘーレンフェーン)、中島翔哉(ポルト)、畠中槙之輔(横浜F・マリノス)、三竿健斗(鹿島アントラーズ)は日本代表にも選出された。東京という地の利はあるにしても、続々と俊英を生み出してきたアカデミーの力は素晴らしい。移籍していった選手たちがすべて残っていたら、今頃どんなチームになっていただろう。
かつてJリーグがスタートした頃の本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)が、草刈り場になったのを思い出す。北澤豪、黒崎久志、長谷川祥之、本田泰人、石川康らがごっそりと抜けていった。本田技研はJFLの強豪だったがJリーグには参入せず、宮本征勝監督をはじめ多くの選手が鹿島アントラーズへ移っている。鹿島はJリーグ初年度の1993年ファーストステージに優勝、北澤と石川が移籍したヴェルディ川崎(現・東京V)はセカンドステージを制し、年間王者にもなった。本田技研がJリーグに参入してメンバーがそっくり残っていたら、相当強力なチームになっていたはずだ。
ヨーロッパではオランダのアヤックスが、ビッグクラブへの選手供給元として有名だ。昨季は久々にUEFAチャンピオンズリーグ(CL)でベスト4まで進出して話題になったが、もともとはヨーロッパチャンピオンに4度も輝いた名門中の名門である。しかし、90年代に選手の移籍自由化によって草刈り場と化し、1993-94シーズンのCL優勝メンバーはあっという間にいなくなってしまった。
その後も優秀な若手選手がプレーしてきたが、活躍すれば引き抜かれる運命。ズラタン・イブラヒモビッチ(LAギャラクシー)、ルイス・スアレス(バルセロナ)、ウェズレイ・スナイデル(アル・ガラファ)、クリスティアン・エリクセン、ヤン・フェルトンゲン、トビー・アルデルヴァイレルト(いずれもトットナム)らが在籍し続けていたら、ヨーロッパ王者を狙えるチームだったはずだ。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。