【奥寺康彦が直撃!】第3回|長谷部誠が明かす「ドイツで求められるプロとしての振る舞い」

フランクフルトの記憶に残る選手に

――それではそろそろ、まとめに移らさせていただきたいのですが、初めてじっくり話されて、お互いにどう感じられましたか?

奥寺 一つひとつの行動などは違うけど、選手としてのあり方や考え方などは僕と似ている感じがしたね。それがあったからドイツで認められて、長くできたと自分では思うんです。そういうものを長谷部は持っているし、これからも長く必要とされるはず。だから、これからも怪我をしないように頑張ってほしいですね。

長谷部 奥寺さんが言われたように、選手としての考え方に近いところがあるなと僕も感じました。奥寺さんは本当にすごいことを成し遂げてこられたと思うんです。にもかかわらず、自慢するわけでもなく、今の時代の選手たちは今の時代のやり方で頑張れと応援してくださる。これからの日本サッカーについて、またじっくりお話を聞かせてもらいたいです。

――それでは最後の質問です。奥寺さんはブンデスリーガで通算234試合に出場されました。長谷部選手は2014-15シーズンまで183試合にプレーしました。あと2シーズン活躍を続ければ、奥寺さんの偉大な記録を破ることができますが、どう感じられますか?

奥寺 どんどん抜いていってほしいな。僕だって、結果的にそれだけの試合に出られただけ。そういうことはあまり考えず、1年でも長くプレーできるようにやっていけばいいんじゃないかな。

長谷部 そこを目標にしたら、到達できないと思うので、奥寺さんが言われたように、目の前の試合を一つひとつ、頑張っていきたいです。そして、フランクフルトのサポーターの記憶に残るような選手になれたらいいなと思います。

――積み重ねが大事だということですね。

長谷部 まぁ、でも、「抜きたい」という気持ちはありますよ(笑)。

奥寺 いいね! それ、しっかり書いておいてあげてね(笑)。

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[PROFILE]

奥寺康彦(おくでら・やすひこ)

1952年3月12日生まれ、秋田県出身。1970年にJSLに古河電工サッカー部(現・千葉)に加入。76年に日本代表に初選出され、翌年にケルンの練習に参加した際、名将ヘネス・ヴァイスヴァイラー監督に才能を認められ移籍を決意。移籍1年目の77-78シーズンにリーグ優勝とDFBカップの二冠を獲得した。80年にヘルタ・ベルリン、81年にブレーメンに移籍してプレー。86年に国内初のプロ選手として古河に復帰し、88年に現役を引退した。

長谷部誠(はせべ・まこと)

1984年1月18日生まれ、静岡県出身。2002年、藤枝東高から浦和レッズに加入。2年目から出場のチャンスをつかみ、04年にはナビスコカップ・ニューヒーロー賞、Jリーグベストイレブンに選出。06年にJリーグ優勝を果たす。08年、ドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルクに移籍。その後、ニュルンベルグを経て、14-15シーズンよりフランクフルトでプレーする。日本代表ではキャプテンとして10年、14年のワールドカップに出場した。

〈サッカーマガジンZONE 2015年8月号より転載〉

【了】

ミムラユウスケ●文 text by Yusuke Mimura

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images

 

 

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