佐藤寿人が打ち立てたもうひとつの金字塔 12年連続二桁得点が途切れかけた“あの年”
李忠成の覚醒
この物語には、さまざまなスピンオフが存在する。
G大阪戦勝利の3日後、広島はエース不在でC大阪と戦った。佐藤に代わってFWを務めたのは山崎雅人(現山形)。だが彼もまた、C大阪戦後に負傷してしまう。ペトロヴィッチ監督に残された選択肢は、天皇杯での低調なパフォーマンスに失望し、一時はメンバーからも外した李忠成(現浦和)だけ。
ところが、その李が、次の神戸戦に移籍後初得点を決めると、シーズン終了までの12試合で11得点の決定力の高さを見せつけて年末には日本代表にも初選出。そして、翌年初頭のアジアカップ決勝では、優勝ゴールを決めて「時の人」となった。
その李の活躍もあり、広島はその年の11月3日、初めてナビスコカップ決勝に進出する。その舞台のベンチに、一時は「絶対に間に合わない」と言われた佐藤寿人が戻ってきた。決勝進出を信じ、過酷なリハビリにも耐えてエースは帰還した。だが、彼は決勝のピッチに立つことなく、120分間の激闘の末に、磐田に屈した仲間たちの絶望を見ることになる。
悔しさ、やりきれなさ、失望、さまざまな感情がエースを包んだ。だが、嘆いている時間はなかった。中2日後の、ホームでの浦和戦が待っていたからだ。