16年の時を駆け抜け、引退の道を選んだ鈴木啓太 「浦和の男」が最後に伝えたかった思いとは
喜怒哀楽が入り乱れたサッカー人生
「たくさんの方に支えられた16年間、浦和レッズの選手としてプレーできたことを、本当に誇りに思っています。ありがとうございました。16年前、このクラブと契約した日のことを、忘れることはできません。あの日から、浦和レッズの一員としての人生が始まり、たくさんの素晴らしい選手たち、たくさんの素晴らしい人と、一緒にサッカーをすることに恵まれました。僕は上手な選手ではありません。自分自身のプレーに苛立つこともたくさんありましたが、それでも、チームのため、仲間のため、浦和レッズの勝利のために走り続けてきたことは、僕のプライドでした」
浦和がJ2を戦った2000年に入団し、01年から背番号13をつけ、レギュラーの座を掴んだ。03年にクラブとして初のタイトルとなったヤマザキナビスコカップを制し、それから07年まで毎シーズン、タイトルを獲得。浦和の黄金時代と言われる時代を主力として過ごした。06年には日本代表に初選出され、当時のイビチャ・オシム監督から「水を運ぶ選手」と称されて絶大な信頼を集めた。
だが、08年に扁桃炎を患って長期離脱。オシム氏の退任もあり、いつしか日本代表から声は掛からなくなっていく。09年からは浦和のキャプテンに就任も、思うように結果が出ない時期を過ごした。11年には、J1残留争いに巻き込まれ、第33節の福岡戦に勝利し、J1残留をほぼ確定させた瞬間に鈴木は泣き崩れた。
12年に就任したペトロヴィッチ監督の下で、チームは復活。毎年のようにタイトル争いに絡むようになったが、鈴木自身は昨季に不整脈を患ってしまう。振り返れば、本当に喜怒哀楽が入り乱れた浦和でのサッカー人生だった。それでも、どんなことがあっても、その瞬間に全力を尽くして走り続けてきた。