【奥寺康彦が直撃!】第2回|長谷部誠が解き明かす「欧州で生き抜く秘訣」
要求に応えることが、自分のためになる
長谷部 そういう時に、「自分はこのポジションでしか試合に出る気はない」と伝える選手もいますよね。でも、奥寺さんの心の中には、そうやって監督から求められることに喜びを感じていた面もあったのですか?
奥寺 そうだね。僕はどちらかというと、そっちのタイプかな。求められたら、「やるしかないな」と。
長谷部 僕も同じです。求められることに応えることが、結局は、自分のためになるんだと思いながらやるようにしていました。
――奥寺さんは、ドイツ時代にGK以外のすべてのポジションを経験されていますよね?
奥寺 ブレーメンでは本当にいろいろなポジションをやらされたね。
長谷部 僕は、GKもやりましたけど(笑)。
――ヴォルフスブルクに所属していた時、GKの選手が退場して、交代枠を使い切っていたので長谷部選手がGKを務めたことがありましたね。
長谷部 はい。やっていないのはFWぐらいです。
奥寺 僕はもともとFWの選手だったから。
長谷部 僕と奥寺さんの違いは、点を取れるということだと思うんです。もともとFWということもあるのでしょうけど。やはり、ドイツでは点を取るとすごく評価されますよね? 僕も今シーズン(2014-15シーズン)はチームで最も多くの試合に出させてもらったのですが、それでも、ファンは点を取る選手を一番評価する。だから今は、結果を残すことの大切さをあらためて感じています。
[PROFILE]
奥寺康彦(おくでら・やすひこ)
1952年3月12日生まれ、秋田県出身。1970年にJSLに古河電工サッカー部(現・千葉)に加入。76年に日本代表に初選出され、翌年にケルンの練習に参加した際、名将ヘネス・ヴァイスヴァイラー監督に才能を認められ移籍を決意。移籍1年目の77-78シーズンにリーグ優勝とDFBカップの二冠を獲得した。80年にヘルタ・ベルリン、81年にブレーメンに移籍してプレー。86年に国内初のプロ選手として古河に復帰し、88年に現役を引退した。
長谷部誠(はせべ・まこと)
1984年1月18日生まれ、静岡県出身。2002年、藤枝東高から浦和レッズに加入。2年目から出場のチャンスをつかみ、04年にはナビスコカップ・ニューヒーロー賞、Jリーグベストイレブンに選出。06年にJリーグ優勝を果たす。08年、ドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルクに移籍。その後、ニュルンベルグを経て、14-15シーズンよりフランクフルトでプレーする。日本代表ではキャプテンとして10年、14年のワールドカップに出場した。
〈サッカーマガジンZONE 2015年8月号より転載〉
【了】
ミムラユウスケ●文 text by Yusuke Mimura
ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images