【奥寺康彦が直撃!】第2回|長谷部誠が解き明かす「欧州で生き抜く秘訣」
自分を犠牲にしてチームのために戦う
――お二人とも、ドイツの3つのクラブで活躍されていますよね。1つのクラブだけではなく、複数のクラブから必要とされてきた理由はどこに感じていますか?
奥寺 たまたま、という部分もあるんだけどね。例えば、最初に入ったケルンから移籍せざるを得なくなったのは、4年目に当時の監督に干されてしまったから。それで仕方がなく、当時は2部にいたヘルタ・ベルリンに行ったんだ。幸い、当時のヘルタの監督は僕のことを評価してくれて、使ってくれた。そこで良いプレーができたから、ブレーメンのレーハーゲル監督に獲得してもらった。やはり、必要とされるところでプレーする機会を持つことが大事だと思う。だから、ブレーメンでの充実した5年間があったんじゃないかな。
――与えられた場所で、要求に応えていくことで、必要とされる選手になれると?
奥寺 しっかりやっていれば、どこかで誰かが見てくれていると思う。試合に出られないのにそのクラブにいつまでも残っていたら、せっかく自分が築き上げたものが、どんどん薄くなっていく。それなら、試合に出られるところでプレーすることが、次への道につながるんじゃないかな。もちろん、それは今だから言えることで、ヘルタに行った時にはそこまで考えられていたわけではないけれどね。
長谷部 お話を伺っていて、一度、監督から干されたというのは自分と一緒だなと思いました。どちらかというと僕も、自分を犠牲にする部分があったとしても、チームのためになることだったらやるんだという確固たるものがありますし。
ただ、その中でも、葛藤はあるんです。「本当はもっと別のことがやりたい」と思うこともありますし。チームのためにやるべきことと、自分のやりたいこととのバランスについてはどうされていましたか?
奥寺 だけど、僕もブレーメンではいろいろなポジションをやらされたよ。サイドバックや中盤をやりたいと思っても、「フォワードをやってくれ」と言われる日もあれば、「ストッパーとして(往年の名選手だったカール・ハインツ・)ルンメニゲをマンマークしろ」と言われたこともあった。しかも、突然、そういう指示を受けるんだ。ブレーメンに入った時に、どのポジションをやりたいのか聞かれて「ボランチをやりたい」と伝えていたんだけどね。
長谷部 似たようなことは、僕もよく言われましたね。「中盤が僕のポジションです」と監督に話したら、「分かった」と言ってもらえたのに、試合になると右サイドバックをやらされたり(笑)。
奥寺 そう! 僕もそういう感じだった。