欧州王者リバプール、崩壊から再生への「3年7カ月」 闘将クロップが変えたものとは?
スアレス退団で得点数が激減、ロジャース監督は猫の目のように布陣を変え…
13-14シーズンのウルグアイ代表FWは、本当に凄まじかった。
リバプールを2位に押し上げる活躍を見せたスアレスは、前シーズンの第34節チェルシー戦(2-2)で元セルビア代表DFブラニスラフ・イバノビッチに噛みつき、10試合の出場停止処分を受け、そのあおりで開幕から6試合を欠場していた。
それにもかかわらず、26歳の頃の剛脚アラン・シアラーと、マンチェスター・ユナイテッドをプレミア、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)の2冠に導いた07-08シーズンのクリスティアーノ・ロナウドの2人しか到達していない31ゴールの高みに到達した。
しかもPKを1本も蹴らずに、である。さらにアシストも12本もあった。
ところがスアレスは、この神がかった活躍を踏み台にして、シーズン終了後に自身の夢だったバルセロナ移籍を実現してしまう。
どんな監督だって、これほど大きな穴がチームに空けば慌てる。もちろん、当時まだ42歳だったロジャースも例外ではなかった。
翌シーズン、ロジャースはスアレスの売却金8000万ポンド(約108億円)を大幅に上回る1億1700万ポンド(約159億円)もの移籍金を投入して10人の選手を補強した。しかし当然のように、突然変異のような大化けを見せたスアレスの穴は埋まらなかった。
前年のチーム総得点数がスアレスの「31」を含めて「101」あったものが、14-15シーズンに「52」に激減したことでも明確である。しかもロジャースは目に見えて衰えた決定力に焦り、フォーメーションを猫の目のように変えた。それまでは不動だった4-3-3を、4-2-3-1、3-5-2、中盤ダイヤモンドの4-4-2と目まぐるしく変え、「どうしてそのポジションにその選手を?」という起用も繰り返した。
このシーズン、リバプールは18勝8分12敗の勝ち点62で6位。優勝争いをした前年から大きく後退した。
そして迎えた15-16シーズン、開幕8試合の結果が3勝2分3敗で10位に沈み、新シーズンとなっても試行錯誤の連続で前シーズンの混迷から抜け出せていない印象を強めると、経営陣は速やかにロジャースの解任を決断した。
ユルゲン・クロップがやって来た時のリバプールは、そんな状況だった。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。