欧州王者リバプール、崩壊から再生への「3年7カ月」 闘将クロップが変えたものとは?
欧州制覇までの道のりを回顧 ルイス・スアレスがもたらしたロジャース前体制の崩壊
「3年あれば一度くらいは優勝争いができるはずだ」
2015年10月8日、リバプール監督に就任し、3年契約を結んだばかりのユルゲン・クロップが発した言葉である。ところが英メディアには、これも新任監督にありがちな楽観的発言で、真剣に受け止めたという雰囲気はなかった。
確かに「カウンター・プレス」と英訳されたエネルギッシュなプレス戦術を操り、ドイツでドルトムントを率いてバイエルン・ミュンヘンという“巨人”を二度打ち倒したことがある長身のドイツ人監督は、非常に陽気なエネルギーに満ち溢れ、何かやりそうな気配はあった。
しかし、当時の英メディアの反応は『ちょっと面白そうな男がやって来て、威勢のいいことを言った』というくらいのものだった。
それも解任されたブレンダン・ロジャース(現レスター・シティ監督)がパニックに陥り、チームに壊滅的な打撃を与えていたからだ。あのリバプールがそう簡単に強くなるわけがない。その原因のすべては、ルイス・スアレス(現バルセロナ)にあった。
クロップ就任の1年半前、2013-14シーズンの終盤、リバプールは限りなく優勝に近づいていた。年明けの2月8日にアンフィールドで行われた第25節アーセナル戦に5-1で大勝すると、これを皮切りに破竹の11連勝を記録。特に優勝争いの直接対決となった第34節マンチェスター・シティ戦で、手に汗握る展開の末に3-2の勝利をつかみ取り、10連勝を達成して勝ち点3差の首位に立つと、24年ぶりのリーグ優勝が突如として目の前にぶら下がった。
ところが第36節のチェルシー戦、ホームのアンフィールドでまさかの“ジェラードのスリップ”が起こり、0-2で完敗。続くアウェーの第37節クリスタル・パレス戦では、3-3という壮絶なドロー劇を演じ、優勝が完全に消滅した。
しかしそれでも、前年の12-13シーズンの成績が16勝13分9敗の勝ち点「61」で、ローカルダービーの宿敵エバートンの後塵を拝す7位に終わったリバプールにとっては、26勝6分6敗で勝ち点「84」を奪い、優勝争いを演じて2位となったことは大躍進だった。
その原動力がスアレスだった。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。