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日本代表DF塩谷が徳島へ恩返し サッカースクール開校&普及活動に込めた熱き地元愛
生まれ育った徳島は”特別な場所” サッカー選手を目指す子供たちに何かできないか検討
UAE1部の名門アル・アインでプレーするDF塩谷司は、日本代表の一員として今年のアジアカップを戦い、2016年にはリオデジャネイロ五輪にもオーバーエイジで出場。その存在は、地元・徳島のサッカー少年・少女にとってまさに憧れの的だ。サンフレッチェ広島時代から帰郷した際には母校訪問やサッカーフェスティバル参加を欠かさず行い、子供たちとの触れ合いの場を大切にしてきたが、新たにサッカースクールの設立に動いている。「徳島のサッカー人口を増やして、レベルを上げたい」――。その熱い思いが塩谷の原動力だ。
徳島で生まれ育った塩谷は、小学5年生の時に大松サッカー少年団(大松SC)で本格的に監督・コーチの指導を受け、サッカーにのめり込んでいった。徳島商高を卒業後は地元を離れたが、その後にJリーガー、日本代表、オリンピック出場選手と飛躍を遂げたキャリアにおいて、徳島で培ったすべてが彼にとって原点である。
広島時代から母校・大松小の訪問や、徳島でのサッカーフェスティバル参加を継続的に実施してきた。そして、新たにサッカースクールの開校に動いている。徳島と言えば、塩谷の幼少期もしかり、野球が盛んな地域。県内のサッカー人口が徐々に減っていくなかで、サッカー選手を目指す子供たちにできることはないか、と考えたのがきっかけだったという。
「徳島で生まれて、高校まで育った自分にとって、地元・徳島は特別な場所。広島時代から1年に1回、正月にサッカーフェスティバルをずっとやってきて、子供たちに何か継続してできることはないかと考えた時に、サッカースクールに行き着きました。チーム創設も考えたんですけど、やっぱり勝ち負けになってくると、自分のしたいことと違うなと。サッカーが上手くなりたい、サッカー選手になりたいと思っているような子たちが、少年団の練習がない日とかにスクールに来て、レベルアップしてチームメートに還元したり、徳島全体のサッカーのレベルが上がればいいなと思いました」
塩谷によれば、徳島県の人口は年々減り、小学生のサッカー人口も直近20年で約半分になっているという。だからこそ、サッカーの普及活動もしていきたいと力を込める。