“神の子”と呼ばれた背番号「9」の物語 逆境でこそ輝く“不屈のエース”トーレスの真髄

引退会見に臨んだトーレス【写真:Football ZONE web】
引退会見に臨んだトーレス【写真:Football ZONE web】

現役引退を表明したトーレス 紆余曲折を糧に掴んできた栄光と飛躍

 23日の記者会見は、午前10時の開催を予定していた。それでも、受付開始の8時半には、すでに会場に多数の記者が押し掛けており、何とも言えぬ緊張感がほとばしっていた。それもそのはず、この日行われたのは、サッカー界に名を轟かす世界的ストライカー、サガン鳥栖の元スペイン代表FWフェルナンド・トーレスの引退会見だからだ。

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 会見に登壇したトーレスは、淡々と引退の背景や今後の動向について説明するなか、自身の発言がひと段落し、通訳が日本語に訳している間、マイクを離し、遠くを見つめるように目を細めている時間が多かった。それは、これまでの自身のキャリアに思いを馳せているようにも見えた。それだけ、“エル・ニーニョ”(神の子)と名付けられたトーレスのキャリアは、実に紆余曲折なものだったからだ。

 2001年にプロデビューを果たしたアトレチコ・マドリードで瞬く間に頭角を現し、19歳の若さでキャプテンを託されるに至った。しかし、チームの顔として確固たる地位を築いたことで年俸は急騰し、財政難に陥っていたクラブは、自らの首を絞める事態に。補強もままならず、チーム情勢は右肩下がりとなっていた。

 その状況を鑑みたトーレスは、自らを犠牲にし、愛するクラブを去ることを決断。07年に巨額の移籍金を残し、リバプールへと移籍した。エースが置き土産に残した資金のおかげで、アトレチコはチームの改革に乗り出すことが叶い、積極的な補強で大幅な改善を施すことに成功。これが強豪クラブとして復活を遂げるきっかけとなった。一方、断腸の思いでアトレチコを離れ、未知の領域であるプレミアリーグに挑戦したトーレスもまた、ステップアップのきっかけをつかむことになる。

 加入初年にしてリーグ戦24ゴールを記録し、当時のプレミアリーグ挑戦1年目の外国人選手として最多得点記録を樹立。年間最優秀選手を決するバロンドールでは、3位に入賞する快挙も達成した。リバプールで見せた大車輪の活躍が、トーレスを世界的ストライカーへと飛躍させた。アトレチコを去るという過酷な決断を、トーレスは見事にポジティブな移籍へと変換させてみせた。

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