Jリーグに“帰還”した日本人指導者 オーストリアで名将から学んだ情熱と積み重ねた経験
ザルツブルクで名だたる指導者と交流、フィンクとも出会う
当時のレッドブル・ザルツブルクは、顧問をドイツの“皇帝”フランツ・ベッケンバウアーが務めるなど、バイエルンとの密接な提携関係があった。トラパットーニ監督のほか、コーチにローター・マテウス、スポーツディレクターがオリバー・クロイツァー。選手でもセンターバックがトーマス・リンケに、センターフォワードにアレクサンダー・ツィックラー。ボランチには現在バイエルン監督を務めるニコ・コバチもいた。
もちろん、モラスは宮本や三都主のケアや通訳にも一生懸命だったが、クラブとの契約はトップチームのスタッフだったという。だからプラスアルファでチームのためになることだったら、なんでもサポートしていた。そして、そこで神戸の新監督に就任したトルステン・フィンクとも知り合う。
「セカンドチームの監督がフィンクだったんです。僕は彼と気が合って、すごくいろいろな話をして、彼に依頼されてちょっとスカウティングもやったりしていた。今だったら、日本人選手の専属通訳っているじゃないですか。僕が始めた時は専属通訳じゃなかった。通訳もするけれど、プラスアルファでチームの仕事もするっていう感じで。そのおかげで、フィンクのスカウティングをやったりして学べることも多かった」
宮本と三都主が日本に帰ることになった後も、モラスはザルツブルクによく出入りして、ロジャー・シュミット(現・北京国安監督)やラルフ・ラングニック(現・RBライプツィヒ監督兼SD)とも知り合い、見識を深めていく。様々な指揮官の下で学びながら、モラス自身は指導者としての経験を積み重ねていった。
地元の強豪クラブであるインスブルッカーACでは育成部長も務めた。さらには指導者としてだけではなく、スポーツディレクターとしての顔も持っている。14年にはオーストリアブンデスリーガ・スポーツマネジメントアカデミーを、アジア人として初めて卒業しているのだ。
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中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。