「僕自身のレベルの低さ」 韓国戦で痛恨ミス、U-20菅原が悔恨「一生頭から離れることは…」
U-20W杯ベスト16の“日韓戦”で0-1敗戦 主導権を握るも終盤に失点し敗れる
U-20日本代表は現地時間4日、U-20ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント1回戦で韓国と対戦した。日本が主導権を握る試合だったが、終盤に失った1点に泣き、ベスト16での敗退が決定した。失点につながるミスを犯したDF菅原由勢(名古屋グランパス)は、「あそこでプレーの選択を変えられなかったのは僕自身のレベルの低さ」と吐露しつつ、「正直、これから一生頭から離れることのない場面だと思う」と自分のミスを悔いた。
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1点を争う攻防だった。前半は日本がボールを保持しながら攻め込み、優位に試合を運んだが、後半はシステムを変えてきた韓国に挽回される。終盤は互いにチャンスを作るなかで後半39分、自陣での菅原のパスミスから最後は韓国のFWオ・セフンにクロスをヘディングで合わせられ失点。日本は最後までチャンスを生かすことができないまま、試合終了のホイッスルを聞くことになった。
右サイドバックとして4試合すべてにフル出場を果たした菅原は、機を見た攻撃参加や鋭い読みからのカバーリング、対人守備でも強さを見せるなど、守備陣の中でも頼れる存在の1人だった。それほどまでにパーフェクトな守備を見せていたからこそ、この試合で失点のきっかけを与えたパスミスに対して「正直、これから一生頭から離れることのない場面だと思う」と、自身のプレーを責めずにはいられなかった。
「あそこでプレーの選択を変えられなかったのは、僕自身のレベルの低さだと思う。チームの状況や時間帯を考えれば、外へ簡単に切るのでも良かった。考え始めたら止まらない。しっかり受け止めないといけないし、自分に対して考えないといけない」
チームとしても、決して内容が悪かったわけではない。むしろ優勢だったと言っていい。しかし、あと一歩のところで勝ち切れなかった理由について菅原は自身の見解を明かしている。
林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。