「牽引車の轍~クラブリーダーのバイオグラフィー~」vol.2 沼田邦郎(水戸ホーリーホック・代表取締役社長) サッカーと商売に明け暮れた日々

水戸生まれ、水戸育ちだからこそ

 先述のとおり、家業と市協会の仕事を並行してこなす生活が続きましたが、1993年のJリーグ誕生をきっかけに空前のサッカーブームが起こると状況が変わり始めました。水戸市の社会人チームも一気に増え、自分の息子もサッカーをやるようになったりと、僕の中でサッカーの比重がどんどん高まっていってね。それで2001年には協会の副理事に、05年には理事長になり、水戸ホーリーホックとの関係も徐々に深くなっていきました。

 そして08年、ホーリーホックに多くの問題が噴出し、クラブ存続の危機というタイミングで社長を引き受けました。その時、「水戸の人間が引き受けなければ、この街にサッカーが根付くチャンスは二度と来ない」と直感し、自分にどんな力があるかは分からなかったけど、「水戸のサッカーのために全てを尽くそう」と決意したんです。

 このクラブは長い間、本当の意味で「地域に根差したクラブ」とは言い切れない状態が続いていました。私はそれを市協会でずっと客観的に見続けてきた。だからこそ、「Jクラブというものは、関わる人々、地域の人々に愛される存在でなければならない」という思いがあります。

 もちろん、時間はかかります。今、積極的に地域貢献活動を行なっていますが、それを体験した子どもたちが大人になり、その子どもたちも同じようにクラブと関わりを持つ。全世代にホーリーホックが浸透していくことで初めて、クラブを中心に水戸という街の活性化にもつなげられるチャンスがあると思うんです。

 水戸生まれ、水戸育ちの私としては、やっぱりこの街を盛り上げたい。そしてみんながもっと水戸を好きになるために、自慢できる街にするために、ホーリーホックが一役買うことができると考えています。

 

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