「牽引車の轍~クラブリーダーのバイオグラフィー~」vol.2 沼田邦郎(水戸ホーリーホック・代表取締役社長) サッカーと商売に明け暮れた日々

クラブは今、どこに向かい、何を目指しているのか。

先導者たる社長やGMを知れば、自ずと未来は見えてくる。

リーダー自身の“来し方行く末”を聞く連載の第2回。

小さいころからサッカーに明け暮れた少年はいま、そのサッカーを「大好き」とは言えなくなった。

だが、この街を愛しているからこそ、尽くさなければならない思いがある。

今回は、就任8年目を迎える、水戸生まれ、水戸育ちの社長の登場だ。

 

サッカーに夢中だった

 かばんの卸売業を営む両親の元で育った私は、商売が大好きでサッカーも大好きな少年でした。そう考えると、サッカークラブの社長という仕事は天職――。いえ、決してそんなことはありません。あんなに好きだったサッカーですが、それが仕事になった今は、とても「大好き」とは言えませんね(苦笑)。

 小さいころから、とにかく時間があればボールを蹴って遊んでいました。高校時代には1982年のスペイン・ワールドカップに夢中になりました。西ドイツが大好きでね。当時、サッカーの情報を仕入れるのは、『サッカーマガジン』『イレブン』『ダイヤモンドサッカー』くらいでしたが、どれも食い入るように見ていました。

 高校卒業後、家業に就いてからもサッカー熱は冷めませんでした。先輩から誘われて水戸市サッカー協会の仕事も始め、市民リーグの立ち上げに携わった時には自らチームをつくったほど。それでも飽き足らず、おやじを言いくるめ、家の余っている土地を平らにしてフェンスを立てて、自分用のミニサッカーコートまで作っちゃいました(笑)。冷静に考えるとむちゃくちゃですよね。鉄筋ならぬ“借金コンクリート製”で、今でもローンを返しています(笑)。

 少年時代、サッカーに明け暮れながらも実家の商売を手伝っていて、自然と「将来、自分がこの商売を継ぐんだろうな」と思っていました。中学2年の時におやじが病気で倒れると、より積極的に家業を手伝いました。「売った、買った、もうかった」という商売の基本も性に合ったし、お客さんと話すのも楽しかったですね。だから商売もどんどん好きになっていき、高校卒業後、程なくして本格的に商売の道に入ったわけです。

 

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