アジジの“車椅子事件”と気遣いの指揮官 「人間的に優れていた」と中田英寿を絶賛した理由

(左から)元イラン代表FWアジジ、元日本代表MF中田英寿【写真:Getty Images】
(左から)元イラン代表FWアジジ、元日本代表MF中田英寿【写真:Getty Images】

大切なのは“試合に負けた後” 「すぐに相手の監督のところへ握手をしに行け」

 気がつけば、街でもチーム内でも愛され、誰もが「バドゥさんのために」と口にするようになっていた。

 バドゥは、若い佐藤に指導者としての心構えを伝え続けた。

「この仕事は、人から見られて評価される。特に大切なのは、試合に負けた後だ。敗戦が決まったら、すぐに相手の監督のところへ握手をしに行け。おめでとう、と敬意を表すんだ」

 実際バドゥ監督は、敗戦の直後には即座にベンチから消えていた。佐藤が振り返る。

「試合を終えてスタッフの前だけでは、悔しさを露わにします。でもそれを選手にぶつけることは絶対にない。選手と向き合った時は、いつも冷静にかみ砕いて伝えていました」

 バドゥは、ジョホールバルの日本戦を終えた直後のことを鮮明に覚えている。日本代表の歓喜の輪から離れ、中田英寿が一人だけ歩み寄ってきて握手をすると、一言二言試合を振り返り去って行った。

「もちろん、彼はゲームの中でも一番の要注意人物だった。とてもクレバーなプレーをする選手だったが、人間的にも非常に優れていた」

 ブラジル生まれながら、ドイツで指導者の資格を取得したバドゥは、来日すると英語で指導をした。冷静で温和な立ち居振る舞いは、いかにも欧州的だったが、ピッチに出てボールを蹴り始めると、ブラジル人らしく見事なテクニックを披露したそうである。

(文中敬称略)

(第3回へ続く)

[プロフィール]
ヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラ(愛称バドゥ)

1944年7月11日生まれ。ブラジル・サンパウロ州生まれ。ドイツのケルン体育大学出身で、同国で指導者ライセンスを取得。1997年フランスW杯最終予選では、日本との第3代表決定戦直前にイラン代表監督に就任。日本には敗れたが、大陸間プレーオフでオーストラリアを下し本大会出場に導く。2006年からは長野エルザサッカークラブ(現・長野パルセイロ)で指導。他にコスタリカ、オマーン、クウェートなどの代表監督を歴任し、2014年にはJ2時代の京都サンガF.C.でも指揮を執った。

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(加部 究 / Kiwamu Kabe)



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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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