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“エディージャパン”が遺した日本サッカーへのヒント 世界的監督と保った絶妙な距離感
指揮官のキャリアだけでなく「失敗の質」も重視
ドゥワイヤー氏と稲垣氏の慧眼には驚かされる。しかし、話はこれでとどまらない。
「面白いのは、彼はそのままバーっと登り詰めるのではなくて、そこでまた挫折があったんですよね。ワラビーズはその後の若手への切り替えが上手くいかなくて、結局途中でエディーはクビになってしまう。非常に寂しい思いをして、落ち込んでいた。それから、当時はオーストラリアでお荷物チームとされていたレッズというチームのヘッドコーチになったけど、そこでもやっぱり全然勝てなかった。
その後イングランドへ行って、サラセンズという名門チームのヘッドコーチになるはずだったんだけども、当事のオーナーが別の人間を連れてきてしまって、エディーはラグビー・オブ・ダイレクターというGMのような役目について、現場のことはやらなくていいと言われて、すごく落ち込んでいましたね」
シリコンバレーのベンチャーキャピタルが、新進のベンチャー企業に投資を考える時、もちろんビジネスのアイデアは重要だが、それに加えて彼らがどんな失敗をしてきたかを重視するという。成功し、成長し続けられる企業であるか、その「失敗の質」とも言うべきものを重視し、それを克服可能なものかを見るという。
稲垣氏のベンチャーキャピタリストに比肩すべき、その洞察力には敬服させられる。
「だけど、そんな時でも僕らサントリーとの関係は全く変わらなかった。エディーが良い時も悪い時も、関係は変わらずに続けてきた。これは彼にとっても支えになっていたようですね。僕らとしてはエディーに学ぶことが多かった。彼はその後に、南アフリカのテクニカル・アドバイザーになって、2007年W杯で優勝しました。そこでまたエディーの評価が上がった時に、サントリーのヘッドコーチになりました。サントリーでリーグ2連覇させたのが2011年でした。この時にはもう、2015年(のW杯)はエディー・ジョーンズしかない、と」
エディー氏の日本代表監督就任までの流れをここまで見てきた。
世界に伍していくには、世界で戦える日本人指導者をどのように作っていくか、という課題と、外国人監督の世界での強烈な経験を日本にどう取り込んでいくか、という両方のアプローチが必要だろう。
後者のアプローチについて、日本サッカーに与えるヒントは大きくないだろうか。
繰り返しになるが、(1)早い段階で指導者としての資質に目をつけ、(2)良い信頼関係を築き、(3)日本での仕事に拘泥せずに、長期にわたって指導者としての成長を見守り、(4)適切なタイミングで日本で仕事をしてもらう。
もちろん、より苛烈で経済的規模の大きいフットボールの世界で、同様なことをするにはさらなる困難が伴う。しかし、その本質には多くのヒントが隠されているように思う。
〈後編へ続く〉
(FOOTBALL ZONE編集部 / Sports Business Team)