「負けたくない」 神戸DF那須大亮、同世代の盟友・阿部勇樹への絶えぬ“ライバル心”

浦和MF阿部勇樹(左)、神戸DF那須大亮(右)【写真:Getty Images】
浦和MF阿部勇樹(左)、神戸DF那須大亮(右)【写真:Getty Images】

「亀みたいにゆっくり」のキャリアを歩んできた那須に対し、阿部は「突き抜けていた」

 ヴィッセル神戸DF那須大亮は、言わずと知れた2004年アテネ五輪のサッカー日本代表キャプテンである。同世代には現役を退く選手が少しずつ出始めたなか、同じJ1リーグで戦い続けているのが、浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹だ。「負けたくない」――。五輪代表、そして浦和で苦楽をともにした盟友へのそんな思いが、プロ18年目を迎えた那須を突き動かしてきた。

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「アテネ世代の中でも、僕は亀みたいな感じでゆっくりサッカー人生を歩んできました」

 那須は静かに微笑みながら、自身のキャリアをそう形容する。

 鹿児島実業高を経て駒澤大へ進学。2002年に横浜F・マリノスでJリーガーとなったが、1年目は3試合の出場にとどまった。しかし、翌年のボランチ起用を転機に新人王に輝く活躍を見せると、年代別代表にも復帰し、アテネ五輪ではキャプテンの大役を務めた。その後、東京ヴェルディ、ジュビロ磐田、柏レイソル、浦和、神戸でプレー。闘争心溢れるスタイルは人々を魅了し、昨季には史上23人目のJ1通算400試合出場も達成している。

 そんな実績を積み重ねてきた那須が、「ユース世代から突き抜けていた」と語るのが阿部だ。ジェフユナイテッド市原(現・千葉)ユース所属時代の1998年、Jリーグ史上初となる16歳(16歳10カ月30日)でJデビューを果たし、トップチームに昇格した翌年からは不動のレギュラーとして君臨。浦和、レスター(イングランド)移籍を経て、2012年に復帰した浦和で今もクラブを象徴する精神的支柱として存在感を放っている。

 アテネ五輪に出場したメンバー18人のうち、30代後半を迎えた今もJリーグでのキャリアで「1部」しか経験せずに戦い続けているのはわずか3人。オーバーエイジ枠のGK曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)を除けば、那須と阿部の2人しかいない。那須は2013年から浦和で5シーズン一緒にプレーし、ルヴァンカップとAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝の喜びを分かち合った盟友を「刺激になる存在」と称する。

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