バッジョ代理人、暴動が起きた90年ユーベ移籍の真相を告白 「あの脅迫がなければ…」
元代理人のペッレグリーニ氏が伊メディアに語った、ユベントス元会長の脅迫まがいの移籍交渉
イタリアサッカー界における“永遠のファンタジスタ”である元イタリア代表FWロベルト・バッジョは、1990年にフィオレンティーナからユベントスへ移籍したが、その背景には地元開催のワールドカップ(W杯)への出場を巡る“脅迫”があったと、元代理人のルイジーノ・ペッレグリーニ氏が語っている。
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バッジョは出身地のヴィチェンツァでプロデビュー。セリエC1(3部相当)で活躍を見せると、セリエAのフィオレンティーナが獲得した。契約直後に膝の前十字靭帯断裂という大きな負傷があったにもかかわらず、フィオレンティーナは契約を破棄せずに回復を待った。そして紫のユニフォームを身にまとって大活躍し、イタリア代表にも選出。90年夏の自国開催W杯への出場も間近というところまで来ていた。
しかし、イタリアのフィオレンティーナ専門のニュースサイト「フィオレンティーナニュース・コム」にペッレグリーニ氏がコメントしたのは、そこでユベントスの故ウンベルト・アニェッリ会長による脅迫まがいの移籍交渉があったということだった。
「ウンベルト・アニェッリはロベルトに『90年のイタリアW杯に出たいか?』と問いかけた。ロベルトの答えはもちろん『イエス』だったが、さらに『それなら、君はユベントスに移籍しなければならない』という言葉があった。これは当時の感覚では、“脅迫”と言うほかない。なぜなら、ユベントスの提示年俸はフィオレンティーナの2倍だったにもかかわらず、ロベルトの意思は移籍しないことだったからだ」
バッジョがユベントスでプレーしたのは1990-91シーズンからだったため、この顛末は前シーズンの終盤、あるいは終了後、90年W杯の開催直前だったと見られる。この大会でバッジョは地元イタリアを準決勝に導く活躍を見せたが、そのアルゼンチン戦では不可解なスタメン落ち。結局イタリアは3位決定戦に回ったが、バッジョは先制ゴールを決めてさらにPKを獲得。得点王を争っていたFWサルバトーレ・スキラッチにキッカーを譲って個人タイトルを彼のものにしていた。
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